天官賜福 外伝 鬼王未梳妆1
晋江文学城.鬼王未梳妆の翻訳です。
ネタバレされたくない人は去れ!
すべてはその日謝怜が花城よりも早く目覚めてしまったせいだ。
800年も苦労を重ねたせいで、謝怜はすっかり遅寝早起きして生計を立てる人になってしまった。
早く来た鳥が餌にありつけるように、がらくた集めだって早い者勝ちだ。
しかし鬼はどうやったって鬼なので寝なくて済む。
そんなわけで花城はいつも謝怜よりも早く起きていた。
謝怜は時々、花城の視線を感じて目が覚めることがある。こんなことが何度もあった。
目を開けると花城が自分をじっと見つめていて、視線をあわせると微笑んで、そっと「おはよう」と言う。まるで一晩中眠らずにずっと謝怜が目覚めるのを待っていたかのようだ。
こうして彼はその日一番最初にあいさつを交わす人になった。
あるとき謝怜は眠りが浅く、まだ夜もあけきらないうちに目が開いてしまった。
少し体勢をかえると、花城も釣られて少し起きたのか体をよじった。謝怜は目をこすりながら後ろ振り返ったところで思わずガン見した。
やばい!ヤバイ!
こんな花城見たことない!!
横向きで手は頬の下にあり、赤い服の襟はだらしなく開けっぴろげになっている。
まるで魔獣伝説に出てくる山鬼かキツネの妖怪が
毛繕いをしたばかりの毛皮と尻尾をまばゆいばかりに光らせて、真っ赤な寝床で心地良さそうにうずくまっているようだった。
花城は眼帯を外していて、瞼も閉じられていたので、そこに目玉が無いことは見て取れなかった。
起きているような、半分寝ているような意識がはっきりとしていない中にも活気が感じられた。
黒々とした長い髪は片側に流され、少し乱れている。ふんわりと柔らかそうだ。
寝相の悪い三郎。謝怜は心の中でどんな姿でも愛おしいと思っていた。
それは人を惹きつけて、視線を外せなくさせる姿態だった。謝怜もその姿に魅入られてしまい、つい顔を近づけてじっと覗き込んでしまっていた。
その時ちょうど花城がもぞもぞと目を開けた。
花城は謝怜を見るとまず笑って「哥哥、おはよう」と言った。
花城が笑いかけると謝怜の目は輝き、ヒヨコがエサをつつくかのように首をふって「三郎、おはよう!」と言った。
「…」
花城は何か言いかけたところで突然顔色がかわり、慌てて座り直した。
謝怜は驚いて少しあとずさり、「どうしたの?」と聞いた。
「俺…」
花城の瞳孔は急激に縮み、顔を半分掴んだ。顔のもう半分は髪の毛で薄く遮られていて、これもまた、狂乱の美であった。花城は右手を掲げ距離をとる姿勢をとった。謝怜はわけもわからず「ど、どうしたの?驚かせてしまっただろうか」とたずねた。
絶境鬼王が彼に驚かされるわけがない。しかし、彼の顔色には明らかに「やらかした感」が出ていた。
花城は即座に「いやっ、これは殿下とは関係ないことだから!」と答えるやいなや、ベッドから飛び降りて走って出ていってしまった。
「???待って!三郎?三郎!」
花城の姿はもう見えなかった。
謝怜は不思議に思いながらも、裸足のまま、髪を振り乱して追いかけて行った。
極楽房の床に敷き詰められているのはやわらかくて雪のように真っ白な妖獣の毛皮ではなく、真っ赤な錦だ。
その昔、彼は裸足のままどこでも走り回るくせがあると伝え聞いたことがあり、そのためにわざわざ床に錦を敷き詰めたのだ。
また、靴を履いていなくても謝怜の足が冷えないように、との心遣いでもある。謝怜はどこにでも座れて、どこにでも寝転がれることが保証されている。
まさか今日この日、この錦が役に立とうとは!
謝怜は裸足のままあちこち朱色の城内を探して回ったが、花城は見つからなかった。
仕方なく一旦部屋に戻り、着替えて靴をはき、鬼市の鬼たちに手伝ってもらって花城を探しに行くことにした。
鬼たちは野次馬が好きで、長いものには巻かれるタチだ。謝怜が一声かけると、ドラを鳴らし太鼓を叩き、ちょうちんを照らして、鬼の群勢となって大騒ぎした。しばらく騒いでみたところ、どうやら天庭まで騒がせてしまった上に花城は呼びかけに応じず、しまいには彼らに冷ややかに「出てけ」と言われてしまった。
このために謝怜はますます不安になった。
少し前に、花城は千灯と一緒に帰ってきた。居ないときは早く帰ってきて欲しいと思うものの、いざ帰ってきたら帰ってきたで、花城がまたいなくなるのでは、と心配せざるを得ず、
うっかり気を抜けば、花城はまた消えてしまうのでは、と心を煩わせた。道すがら頭ではずっと「もしかしてさっき無意識に何かしてしまって、三郎を怒らせた?」と気が気でなかった。
花城は意固地になるタイプではないと思っていたが、だからといってそれを当たり前だと思いたくもなかった。
誰にだって機嫌が悪いときはある。うさぎだって追い詰められれば人を噛むのだ。
しばらく真剣に反省したものの、かといって思い当たるフシもなかった。
しかし幸いなことに花城はほどなく姿を表した。
謝怜が見君川に沿って歩きながら、鯉と遊んでいる時だった。
川の鯉は金、銀、赤と色とりどりで、まるで水中の彩雲のようだ。鯉たちは謝怜のあとをゆったりと追っていた。
謝怜は歩みを止めて鯉に「花城殿を見かけなかったかな?」とたずねた。
すると小さな赤い鯉が頷き、矢のようにまっすぐと泳ぎ出した。まるで道案内をしてくれているかのようだった。謝怜が頭をあげると、緑の柳の木の向こうに赤い傘をさし、紅い服をまとった人物が飄然と見え隠れしていた。
遠くから「哥哥,俺を探しているの?」と聞こえてきた。
謝怜は声を聞いてほっと胸を撫で下ろした。
もう一度よく見たところで、謝怜は目を瞬かせた。
花が延々と咲き誇る小道を花城は悠然と歩いてくる。しかしそれは少年の顔をしていた。
その上普段とは全く違う少年の姿をしていた。
普段、花城が少年の姿をしているときは、素朴で飾り気がなく、銀の装身具は身に付けず、髪もあまりしっかり梳かさず、歪に一つに束ねただけだが、その気負ったところがないところもまた十分に魅力を引き出していた。
しかしこの時ばかりは念入りにめかし込んでいた。
長い髪はきっちりとまとめられ、紅い服には銀糸で怒蝶護花紋様が縫い取られ、銀のベルトには百鬼千妖図が施されていた。
赤い傘からは水晶で作られた雨粒のような飾りが垂れ下がっている。
なんて人に知らせてまわりたくなるような美しい貴公子だろうか。神々しすぎる。
謝怜は一眼見て「超かっこいい」と思い、思わず二度見せずにはいられなかった。
見れば見るほど見足りないと感じるくらいだ。
花城はそばに来て、やさしく謝怜に傘をかざした。笑顔を浮かべ、まるで今朝何も起きていなかったかのように
「哥哥,日差しが強いでしょう、代わりに日光を遮ってあげるよ」と、言った。
近くで見ると確かに美しいのだが、同時にものすごい圧を感じてしまった謝怜は鋭いナイフのような雰囲気から逃げたくて、つい目をそらしてしまった。しばらくして謝怜は遠慮がちに
「三郎、大丈夫…?」とたずねた。
花城は鯉に餌を投げ、魚が我先にと奪い合う様子を眺め、はは、と笑いながら「哥哥,なんでそんなこと聞くの?俺に何かあったかな?」と答えた。
「…」
花城が言わないということは、そのことについて話したくない、ということだ。顔色こそ表面上は普段通りだったものの、謝怜もこれ以上は聞き難くなってしまった。
今は言葉を飲み込むしかなく、後日あらためてどういうことか訊ねてみることにした。
二人はとくにやることもなかったので、鯉に餌を与えた。
餌がとっくになくなってしまっても、鯉は名残惜しそうにその場をなかなか離れず、花城は思いっきり石を放り投げた。鯉は驚いて鳴き声をあげながら逃げていった。花城は「鳴き声がうるせえな、50歳くらいのデカい赤ん坊が泣き叫んでるみたいだ」と言った。
謝怜は心の中で鯉たちに心から同情していた。
そのあと花城は謝怜に先程練習した字を見せた。
花城がしばらく不在にしたのはこのためだと…。
実際に今回は特に真剣に書いたようで、少なくとも3文字くらいは、どうにかこうにか偏とつくりを見分けることができた。
日がすっかり高くなった頃、花城は謝怜に付き添って食人かまきりの根城を潰してほしい、という祈祷の処理に出かけた。
そのカマキリは何人かの被害者の魂を返したがらず、謝怜はこれ以上説得しても無駄なので、武力で済度に導こうと考えた。ところがまさか若邪も出さないうちに、花城が傘を飛ばすとは誰も予想していなかっただろう。
血雨紅傘はとんでもない代物だった。
なぜかその日の花城のやり方は特に俊敏で惨たらしかった。
傘は旋回しながら飛び、傘の縁は鋼の刃のごとく骨を削り、閉じると長槍のようになって、一突きでいくつもの妖怪や鬼どもをまとめて貫いた。傘は花城の手によって鮮やかに鬼どもを蹴散らし、血の雨を降らせた。傘を差し直すとこの上なく整った顔立ちが半分だけ見てとれた。
一連の動作は流れるようで、雨が降り花が舞い散る様子は凄まじく、また美しく殺気にみなぎっていた。謝怜は全くと言っていいほど出る幕が無かった。花城はすでに落ち着きはらっていて、その場に佇んでいる。
「哥哥?」
「うん?」
花城は傘を回しながら
「哥哥,解決したよ。行かないの?」と謝怜にたずねた。
謝怜はやっと「あ!解決したのか!行こうか。あの人達の魂魄を探しにいかないとね」と答えた。
しばらく歩いて、謝怜は突然大事なことを思い出し、
「あの、三郎、さっき銀蝶は出したかな?」とたずねた。
花城は頭を傾げ「ごめん、出していない。どうしたの?」と返した。
謝怜は表面上は「大丈夫、なんでもない」と答えたものの、その実とても残念がっていた。
「なんで出してないの?!」
謝怜はとりわけこれを愛していた。
花城とはふだんからよくこの手の話をしている。つい先日、お互いの武学の風格について話したところだった。
武風が落ち着いてるタイプは堅実だが、見る側にとってはどうも味気ない。例えば天下帰心流がそうだ。
惨い武風となると全く逆で、見ごたえがあるし、派手な技も繰り出しやすい。
花城はこの2種の良いところを組み合わせた武風で、堅実かつ惨たらしい。
しかし、花城は必ず相手を制圧してしまう一方で、それが発揮されるのを見れる機会というのはない。発揮しようがないのだ。相手は花城がちょっと手を招いただけで血雨術となって流れてしまうので、戦いようがない。
謝怜ですら銅炉山で白無相と戦ったあの一戦でやっとほんの少し拝めた程度だ。
しかし今日の花城は全く逆で、まるで謝怜を楽しませたいかのようだった。血雨術を使わずとも手を動かしただけで、派手で残虐で素早くて、すばらしくかっこよかった。元々卓越した技量を持ち、少年時代に謝怜に目をかけられていた若き青年は、キラキラと光輝き、眩しさのあまり謝怜を惑わせるほどだった。
そんなわけで謝怜の心は痛みのあまりぶるぶると震えていた。どうして銀蝶にこの花城の戦いを記録してもらわなかったんだろうか!
後から見返すにふさわしかった。何年も楽しめたのに!
二人が極楽房に戻ってきても、謝怜はまだ光の中にいるらしくぼんやりとしていた。
夜になり、二人でちょっとした宴をしようと目の前にごちそうが並んでも、謝怜は走馬灯のようにあの時の花城の一挙手一投足を繰り返し思い浮かべていた。何度も何度も思い返し、ようやく謝怜は花城が自分に話しかけていることに気付いた。
やっと我に帰り「何?」と答えた。
花城は何か思う所がありそうな様子で、「哥哥、今日はなんだか心ここにあらずだね。つまらない?」と言った。
謝怜は箸をおろし、「三郎がいるのに、つまらないわけないよ」と答えた。
謝怜が適当に置いた箸が転がって小皿に当たり、心地よい音が響いた。
花城は「じゃあ、新調した箸が使いにくかった?」と言った。
謝怜はあらためて先ほど置いた箸をよく見たところで、やっとそれがこれまでに見たことのない白玉製の箸だと気付いた。
花城が言わなければ謝怜はずっと変わったことに気付かなかった。
謝怜は不思議そうに「そういうわけじゃないんだけど…あれ?そう言えば何日か前にお箸を変えた気がするんだけど、あれじゃダメなのかな?」
花城は「でも、そのあと哥哥は象妖は温厚で慣れやすいって言ってたでしょう?食事時に箸を見るたび哥哥がかわいそうと思うんじゃないかと思って、片付けたんだ」と答えた。
確かにそんな話をした覚えがある。しかしそれは鬼たちと雑談をしていたときに、たまたま象妖の話になり、無意識に口をついて出たことだ。謝怜に食器のことを議論する気は無いのに、些細なことを大事として気を遣ってくれた。まして花城がヒマだったから、と自分で象妖を仕留めてきたわけでもない。花城のところにはたくさんの宝物があるが、どれも鬼市の妖魔や鬼たちが貢ぎに来たものだ。
花城がこの何気ない話を聴いていただけでなく、ここまで気にしてくれていたとは思いもよらず、謝怜は思わず少しはにかんだ。あらためて箸を手に取り、「三郎は優しいね」とやさしく言った。
花城は笑い、「哥哥の手にあるこの白玉の箸は、崑崙山にいる千歳玉精の玉骨から作ったものなんだ。この玉には不思議な力があって、恒久的に体を温める作用がある。口に入れたり、手にしたりすると自然と温まってくるんだ。内臓も傷めない。益年延寿のほか、心を落ち着ける作用もあるんだ。まだ使う?もし気に入らないなら、また換えたらいい」
謝怜は慌てて「換えなくていいよ!ちゃんとお箸として使えるならそれだけで十分良いお箸だ。それにしても、こんな宝物をお箸にしてしまうのかい?なんだかちょっと…」
花城は何でもないように「哥哥は気にすることない。宝物だろうと使うもので、供物じゃない。くれたのなら俺のものだ。何に使ったって構わない」と言った。
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1はここまでで終わりです。