2024.10.28
・写真がなさすぎる。家を出ていないので。
・久しぶりにアニメ「BANANA FISH」を観た。
2018年放送から多分今回で3周目くらいなんだけど、観るたびに毎回信じられんくらい泣く。私は結構感動で泣くタイプなのでこれは何の意味もない言及ですが…。
今サントラを流しながらこの日記を書いていて、アッシュの個人曲のタイトルが本名の「Aslan」なのに気づいてまた爆泣きしてる。苛烈な彼の印象とは程遠い、なんて穏やかで凪いだ曲なのか。作曲した方はこの曲にどんな思いでAslanと名前を与えたのか。
もし観たことがない人がこの日記をたまたま読んでいるなら、まずは観てくれ…と強く思います。この作品を、感想語りとか内容解説みたいなところでなぞるのは勿体なさすぎる。愛の話です。同時に「あなたの心に包帯を巻いてあげたい」の話でもある。(傷を持つ者に対して何ができるかの話はこの前した) ほんま私に書けること何もないわ。ただ確実に、人生通してまだまだ観るな…という思いだけです。語られる言葉の意味に気づいていく感覚がある。感情が辿り着いていく感覚がある。ただ私はまだ(いつまでまだのつもりかは知らないけど)愛に対する手つきのようなものを理解していないように思うので、この作品を通して描かれる大いなる愛について語る言葉を持っていない。
この作品を思う時いつも頭をよぎるのが、『アフリカのキリマンジャロ山の頂近くに、不毛の頂上を目指し登り、力尽きて死んだ豹の亡骸があるという。豹が何を求めて頂上を目指したのか、知る者はない。』というヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」の内容が語られる場面だ。
アッシュの死生観が語られる場面である。これが印象深いのは、まあ普通に私が死生観のオタクだからというのもあるんだろうけど…。ただ、2018年放送から今に至るまで6年の時があったのに私はまだこの「キリマンジャロの雪」を読んでいない。ダメすぎる。次観る時までには読んでおこう。でも多分作品を読んでも、私は自分の死を思う時に、この豹を思うことはないんだろうなと思う。高みを目指し、そこで自分に迫る孤独というのがどんなものなのか知る者の気持ちに想像がつかないからだ。つまりアッシュはこの孤独を知っているのだ。そこにどんな景色が広がっていて、そこでの孤独がどんな温度をしているのかに思いを馳せることができる。そして自分の死を思う時にこの豹のことを考える。若干17歳の少年がだ。私はこの場面を観た時、アッシュの人生に横たわる孤独の深さの一部が見えたような気がして、かなりゾッとしたのを覚えている。ゾッとしたというか、途方もなさというか。こんな死生観を持つ人に渡す言葉なんかない…。この言葉に英二は「人間は豹にない知恵を持って運命を変えることができる。そしてきみは豹じゃない。」と伝えるんだけど、私はこの返答を初めて聞いた時は割と、めっちゃ綺麗事やんけ…と思ったんだよね。正直この作品を初回に観た時、序盤ずっと、なんでアッシュは英二にそんなに絆されてんの?ってちょっと思っていたくらいで、ずっとわからないことが多かった。でも作品を最後まで見るうちに、そして何回も繰り返してこの作品を見るうちに、この言葉がどれほど温かい力強さを持っているのかということが理解できていた。すっごいすごい。今では本当に大好きな言葉です。このやりとりがあることでアッシュがこぼした「この世に少なくともただ1人だけは…なんの見返りもなくオレを気にかけてくれる人間がいるんだ。もうこれ以上ないくらい俺は幸福でたまらないんだ。」という言葉がどれほど輝くことか。
BANANA FISHには数多くの文学作品が出てくる。サリンジャー、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ…。私はあんまり海外文学を読んできていないので、この作品の要所要所で象徴的に登場する物語を全然知らない。最近「海流の中の島々」を読み始めたけど既に難解で心が折れかかっています。いつか作中に登場する作品を全部読んだ上で観返してみたい。
(初めて観た時はユエルンにめちゃくちゃ心を寄せていました。同類だと思っていた奴が理解されて、人を愛して、愛されて…そんなんずるいよなぁ!?と思っていた。今でも彼の苦悩はすごく胸に来る。)
追記
こちらの記事があんまりにも凄すぎて、何がなんでも作中に登場する作品読むわになりました。何度も泣いてしまう結末を、流す涙の理由をきちんと解釈したい。
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