わたしが風になるよろこび
土田隆生『風韻』
ー箱根彫刻の森美術館で出会った一つの作品。わたしの記憶の一隅にこびりついて離れない、たったひとつの独りよがりな箱根ルポ。
風はどこにある?風は確としてそこにある。だが見ることも触れることもかなわない。心がからだのどこにあるのかその精確な場所がわからないように、風はただその存在の痕跡をみとめることしかできない。そういう意味では、風は心みたいなものだ。わたしたちはただ、そのうごきを感じるだけでいい。こころと風のちがいは、それが内的現象であるか、外的現象であるかということにすぎない。こころは論駁の余地なく内的であり、また同様に風は外的現象である。これは動かしがたく屹立する事実のように思われる。いや、少なくとも思われていた。
而して身体はイメージである。イメージとしての身体は、その輪郭を自在に伸長収縮させ、しなやかに流動するアメーバだ。誰も自分の身体を外から見ることはできないのだから。ひとたびからだの輪郭線がごく単純な流線形の構造に還元され、表面を風がすべるように通り抜けていくとき、外部と内部の境界は曖昧になり、自己は自然のなかに融け出していく。風がこころを吹き抜けていく感覚。すうっと何かが軽くなるような心地よい浮遊感。わたしという存在がうなるような音とともに風になる、風になるgaudium!