価値観の罪
ドラえもんで判り易く説明する。
例えばあやとり世界一で賞金一億もらえると。
のび太は楽勝で優勝できる能力が有るとする。
しかしそこでジャイアンが嫉妬し、
「のび太のくせに!」とのび太に暴力で圧力をかける。
そのせいであやとり大会に出場できないのび太は一億円棒に振る。
小さなコミュニティの力学、内弁慶の構造が、
国際的な大きなチャンス、成功の芽を簡単につぶすワケだ。
このジャイアンの「暴力」を別の物に例えると、
例えばコミュ力、或いは学歴、コネクション、親の地位・・
つまり、本質と違う物差しを押し付けて、現実的な成果を潰す。
世の中っていうのはこういう事ばかりしている。
のび太がジャイアンの壁を突破するには暴力を身に着ける必要がある。
この時点で「暴力」「あやとり」の2つのスキルが無いとダメだと。
のび太は体を鍛えて「暴力」を身に着けたとする。
これでのび太はジャイアンの壁を突破し、一億円を得られるのか?
しかし、ここでまたスネ夫が出て来てジャイアンの肩を持つ。
同調圧力と口喧嘩に持ち込んでのび太を妨害する。
ここでさらにのび太は「コミュ力」「同調圧力」の壁にぶつかる。
つまり、のび太はあやとりだけなら簡単に一億手に入れられたのが、
余計な競争の割り込みによって「暴力」「コミュ力」「同調圧力」を
わざわざマスターする必要が出てくる。
社会の仕組みが複雑化し、不要な手続きを増やすとこうなる。
本質と違う競争原理を持ち込むと、何もかもスマートに行かない。
そんな回り道をしてる内に賞金は誰かに取られるに決まってる。
これで誰が得するのか?
ジャイアンとスネ夫は単に精神的に気持ち良くなっただけだ。
マウントは達成され、一時のプライドが守られた。
その代償がのび太が本来得られた筈の賞金一億円という話になる。
他の領分に余計な競争原理を持ち込むとこうなる。
学歴、権威、人脈、出自、経歴、資格、見た目・・
いつも求められる本質とは無関係な物が必要となる。
どんどん複雑化し、さらには優先順位すら変わる。
末期はだいたいこんな感じ。
人それぞれという価値観の違いを受け入れないとこうなる。
誰も何も得られず、どんどん下降していくだけだ。
おしまい