「蒼天航路」の劉備
自分は三国志を横山光輝版を読んだ後、次に演義の途中で正史に切り替え、
蒼天航路という順番だったか?
その後、シミュレーション小説を読んでコーエーのゲームもやった。
これらに一時期ハマったが、既にほぼ忘れた。
蒼天航路における劉備は「侠」、
いわゆる古風な893であり、村のみかじめで成り立つ自警団だろう。
国家なんてものはそれぞれ小さなコミュニティを力でまとめたもんだから、
本来なら地方、町、村がある程度の独立した構造を持っているもんだ。
それがまとまって「国」なので、本来ならどんな国家でも、
小競り合いを繰り返す少数民族の集まりだったのだろう。
ソビエト連邦が現在のロシアやウクライナを統合していたように、
中国だって多民族の寄せ集めであり、
元々はそれぞれが分離したアイディンティティを持っているハズだ、。
それを何らかの形でまとめ上げるワケだから、
内部よりも外部に敵を求めないとまとまらないワケだ。
これが本来必要としないハズの戦争を必要とするギミックだろう。
豊臣秀吉が朝鮮出兵をせざるを得なかった苦悩は「花の慶次」で描かれた。
その小さなコミュニティの中で、村の治安を守る暴力装置が「侠」であり、
蒼天航路での劉備はそこそこ大柄で腕っぷしも強い。
やはり演義における「劉邦の末裔」なんてのはハッタリだったのだろう。
単にハクを付けてただけで、フェイクの可能性が高そうだ。
そして蒼天航路の劉備のディティールはコッチだ。
「桃園の誓い」
そこに関羽と張飛がやってきて、なんか意気投合するワケだが、
これは大柄な劉備の腕っぷしと、この嘘くさい「劉」姓が、
一旗揚げるのに役に立ちそうだからだった気がする。
おそらくコレ、「本人達」もロクに信じてはいなかったのでは?
ただ、名を上げる際の「看板」が欲しかっただけだろう。
地元のバックアップが厚く、関羽達にはない民衆の支援もありそうだ。
これで黄巾討伐に参加できる材料が揃ったという事。
村のケンカ自慢の寄せ集めなので、用兵なんてものはなく、
初期の劉備の部隊は相当弱かった気がする。
また曹操は劉備と関羽を手なづけようとしたのだが、
逃げられてしまう。
曹操の目的は関羽であって、劉備はそのヒモのようだ。
劉備の名声で民衆の気を引き、戦場では関羽を使う気だろう。
劉備としては曹操に任せても割と目的は果たせそうな感じだが、
恨みを買いやすい曹操のアンチに神輿が必要だったという事だろう。
歴史の必然というか、泣き落としにでもあってそうではある。
「劉」姓が無ければ問題なくやり過ごせた気がしてしまう。
「看板がでかすぎた」という事だ。
で、曹操から逃げ出すが、弱かったはず。
漫画の内容は忘れた。
そこに徐庶が現れる。
もう、この徐庶っていうのは人気が高いが、
結局はこの人も何かアウトローな893みたいな部分があって、
軍師崩れで、人に仕えるのをドロップアウトしたイメージだ。
ただコネクションだけはあったのだろう。
しばらくして劉備に諸葛亮を紹介するワケだが、
正史の諸葛亮は内政向け、国家づくりに向いてる人物であって、
戦場で指揮を執る人物ではなかったようだ。
だとすれば、用兵のノウハウなんかは徐庶が先に仕込んであって、
目立った軍師的な人材はロクに居なかったのかもしれない。
関羽・張飛・趙雲・馬超・黄忠と、
やったら強い五虎将のイメージが強い蜀の将軍だが、
軍隊と言うより、結局は個人ばかりが強かった気がする。
みな関羽と張飛が目当てで、そういう傾向があったのかもしれない。
今でいうプロレス団体のカラーみたいなもんだ。
なにしろ、実際には諸葛亮は戦場に居なかったはずだから、
強い蜀軍のイメージは将軍の強さだったのだろう。
関羽や趙雲といった文武両道の真面目な将が、
初期に徐庶から学んだ兵法をノウハウとして使っていただけで、
演義に描かれた様な諸葛亮は、実際は関係なかった気がする。
しかしこの諸葛亮、蒼天航路では明らかに人外の存在として登場し、
曹操と出会って人間に興味を持った様である。
蒼天航路の諸葛亮は宇宙人であり、けっこう気色悪いのだ。
コレどんな描写だろうと思ったが、なんか関羽はインド人っぽいし、
大陸の多様性は何が潜むか判らない、
曹操の配下がむしろ大人しいまである。
インパクトの強い劉備側のキャラクターに合わせ、
演義で負け役になるハズの曹操配下の一見モブの様な人物が、
徐々に肉付けされていくのがこの漫画の面白みだろう。
曹操が抜擢するくらいだから、本来なら優秀なはずだ。
当時読んでいてそんな思い入れを感じた。
予定と違う着地ですが、殴り書きということで。
おわり