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自分軸、他人軸、エゴ

気付き

他人を見ていて、自虐風オナニーをして被害者面しているのに嫌悪感を感じていたが自分も例外ではなく
むしろ自分のしていることが自虐風オナニーそのもので同族嫌悪であった。そういう行動が優柔不断な感じや相手に不安な印象を与えるマイナスな要素であると気づいた というか気づかせてもらった。 ありがとう。

具体例

これらは氷山の一角で根本的な原因として、自己肯定感の低さではなくエゴが強すぎるということが起因している。
深層心理の部分で、外的な事象にこうなってほしいこうしてほしいというエゴが強く
対人の場合は、自虐風オナニーをして相手の気を引こうとする、愛着障害のある人間によく見られる行動である。

死にたいという言葉は最大のエゴ

特にメンヘラの使う死にたいという言葉は最大級のエゴであり、なぜなら
死にたいなら他人に告げずにさっさと死ねばいいからである。さらに死にたいという言葉は、自分が怠惰でプライドだけが馬鹿みたいに高い人間ですという自己紹介でもある。

努力しても報われないというとんでもない勘違い

努力しても報われないというのはとんでもない勘違いであり、私は努力が嫌いな人間ですという自己紹介でもある。
努力というか自己評価と客観的評価のずれがあるとこの現象は起きる。
自己評価が高すぎるとこのような不満を感じて自虐風オナニーをし始めるが、結局は問題に向き合うことから逃げているだけである。
自己評価が高いくせに自己肯定感は低い、こういった自己認知のムラが対人関係では相手に不信感や不安を与えるのだ。

努力とは何なのか?

努力という言葉は漠然としていて様々な捉え方ができる。
しかし、努力の先に結果があると考えれば努力の方向性は絞られる。

結論から言うと努力とは結果に対して固執せず一貫性のある行動で突き進むことだと思う。
努力に感情は入ってはいけない、感情の処理は努力とは別の分野で努力を維持するための行動である。

努力ができない人間は結果に対して感情的に反応する。
失敗したときと成功した時の感情の動きに波があると努力を継続することもできないし、問題から目を背けてる性格の実証でもある。

問題に向き合うと問題に固執するの違い

私はこんなに真剣に問題に向き合っているのに何も結果がついてこないというのは大きな勘違いで、失敗という結果に過剰反応して問題から逃げているだけである。
なぜなら問題に真摯に向き合っているなら失敗も受け入れることができるからである。
問題に対して固執してしまうのは一種の性格の問題や脳機能のバランスの悪さであるが、固執する限り永遠に安定した自分の望む結果を得ることはできない。

他人軸を妄想しない

努力と結果という関係は、様々なケースがあるがここでは対人関係に限定してまとめる。
他人軸を妄想すると人間関係は破綻する。
自分はこうだから、相手にこうしようだとかそういった妄想をして相手に接するといい関係は築くことができない。
正常な人間は他人軸を妄想しない。
他人軸を妄想すると、相手と自分との相性を見定めることができなくなる。
失敗(例えば相性が悪かった場合)を受け入れることができないと、失敗を切り捨てることもできず、問題への固執になる。
また、妄想によって相性が良いか悪いかの判断も正確に行えず、相性のいい人間を切り捨てる結果にも繋がる。

原因が解っても口に出すべきではない

こんなことがあってさ、こう思ったよ
と聞かされる方はたまったもんではない。
で?
という話
相手が冷たいとか言い始めたらそれはもうエゴ。

一二回の雑談ならまだしも、そんなオナニーを何回も聞かされるのは時間の無駄以外の何物でもない。

ではどうするべきなのか?

努力をして結果を出すことである。
結果を出すために自分と向き合うことである。
問題から逃げないことである。

今日綴ったこの文章がただの戯言にならぬよう、行動していきたい。

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