血みどろkawaii 信仰(՞•̥ ̫•՞)
便器に顔を向けて指を口に突っ込んでいる時、どうしてこんな風にしか生きることができないんだろう、と情けなくなる。誰もわたしの在り方なんて気にしてない、そんなこと分かっているけれど。
自分のかわいくなさに気づいたのは中学生の頃。小学校の頃から写真に写った自分の顔を見てなんか変な顔だなとうっすら思っていた。中学校の時に「目はかわいいね」と言われてからマスクをつけていないと家族以外の人と話せなくなった。そこから顔について調べて調べて、自分の顔が中顔面が長く陥没していること、輪郭の大きさ、骨格等々の理由でかわいくないことを理解した。かわいいはつくれないことを悟った。
言葉数少人ぬ(すくなんちゅ)なのもかわいくない。アニメや漫画に出てくるヒロインはみんな素直で快活でよくしゃべりかけ、童貞男くんたちに夢を与える。あまり喋らないキャラとして綾波レイちゃんもいるけれど、レイちゃんはあの美貌かつ生き物としての欲を全く感じさせない生気の無さが魅力的なのであって、こじらせて言葉数少人ぬな訳では無い。
コンプレックスについて考える時、社会にわたしのメンヘラは不要なのにと思う。わたしのメンヘラは駅前のげろであり、青春時代の黒歴史であり、海洋プラスチックゴミなのだ。ないに越したことはないものなのだ。
一方でかわいいは全てを包み込む。かわいいは正義。かわいいをつくれなかった側の人間として、メンヘラですら魅力に昇華できてしまう、ありのままで輝いている人、かわいいを生業としている人にコンプレックスを感じるのかもしれない。
かわいくなりたい。かわいくなって全て許されたい。かわいくなったら全て許されると考えるところも全て全て、許されたい( ɞ̴̶̷ ̫ ʚ̴̶̷ )ෆ˚*