相葉くんを目指して

 もうnoteを続けるのがめんどくさいと思う自分がいる。なんとか徒然に文字を連ねてはいるが、なんの意味もない。こんな文章をだれが読むのだろうか。少しのことでも毎日続ければすごいことになるらしい。もう少し頑張ってみよう。毎日の少しの努力といえば、ぼくは嵐の真似ごとを目指してみようと思う。もっといえば相葉くんだ。相葉くんの“受け止める力”はぼくにすごく足りない。ぼくは常に自分のことしか考えていないのだ。そんな自分だけではいつまでも子供のままなので、人を受け入れる力をもった人間になろうと思う。

 これまでは自分の人間性がどうこうなんて全く考えずに本能のままにあることを目指してきた。今でも基本は変わらないのだが、大人になると「こういう人になりたい」「これは自分に全く足りていない」と思うことが多々ある。表面的な結果だけを追求することにあまり意味を感じなくなってきた。テストの点数やお金の多寡がどうでもいいわけではないが、そんなことに本気になってボロボロになるのはもう嫌なんだ。努力や結果に囚われたくない。なんでも気合いで済ませようとするのはつらい。だから、常に頑張るのではなく、常に心がけておいて少しずつ変化していく自分を楽しむくらいでちょうどいいんじゃなかろうか。

 点数を気にして、金を気にして、モテを気にして、思想を気にして、今の自分がいる。現時点での結論としては、点数は過去の自分の頑張りとして大事。金は今後も一生頑張らないといけないが、金とプライベートは別物。モテも一生気にするものだが、性癖を直すことと相手とのタイミングが大事。思想はとくになく、今の社会にそこまでの不満はない。こんなもんです。

 おなかがすきました。

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