加害ではなくて感情に寄り添う

 問題が起きたとき、世の中では常に「する側」が責められる。「する側」が悪いとされる世の中では常に「される側」にいた方が楽だし、責められない。しかし一方で、「すること」には常に加害性がつきまとう。そのため、この加害性は一定程度常識的に容認される範囲に収められる必要がある。言論活動や政治的主張、営業やナンパにおいてもそれぞれの許容される範囲(ルール)があり、それを越えれば犯罪やハラスメントとされる一方、その範囲内であれば問題にはならない。もしくは、「される側」に同意がある場合にもまた問題にはならない。この同意とは契約的外形的な同意ではなく感情的な同意である。



 逆にいえば常識的範囲にあるか、もしくは相手の感情的同意があるならば、他人の気持ちなんて考えずに自分勝手に好き放題やっていいということである。すなわち、関わる人間が相手と自分の2人だけだったら相手の感情的同意を読み取りながら2人で擦り合わせながらなんだってやっていい。3人であれば3人全員の感情的同意、10人であれば10人だ。しかし、人は1人1人断然しているわけではない。社会の一員である。給料も食事も住居も他者との関わりの連続であり、完全に切り離すことはできない。脱税も米不足も騒音トラブルも起こりうるのだ。よって、社会の感情的同意=常識的ルールにも従う必要があるのである。常識的ルールがおかしいならば抗って闘うしかない。変える必要がないなら闘わないでそのままでいい。


 相手の感情を見計り、寄り添い合うスキルを磨きたい。何より自分の感情をちゃんと理解したい


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