なんで燃え尽きたんだろう #13
私の性格
燃え尽き症候群になりやすい人の特徴として
「まじめ」
「希望に燃えている」
「意欲的な人」
「完璧主義な人」
「正義感が強い」
「自己肯定感が低い」
自分で言うのも何だが、私はホントにテキトーな性格で、完璧は目指さない。
イヤな事からは逃げる、やらない。タスクはいつも締め切りギリギリ。合格ラインギリギリのクオリティでできないと思ったらやらない、丸投げするというのができるタイプ。
リスクに対して楽観的で「まぁ、なんとかなんじゃない」「何かあったときに考えればいいじゃない」というタイプ。
熱血漢でもなく、ポーカーフェイスで、感情が表情や行動にでることはあまりない。
とてもマイペースで周りからは「やる気あるの」とイジられている。
最悪な気分の正体は
燃え尽き症候群の特徴とは全く正反対で、効率良く要領良くほどほどに仕事をするというのがモットーで働いてきた。
管理職だが、職場の中で誰よりもいい加減でテキトーで、一生懸命とか完璧にという立ち位置から一番離れていたので燃え尽きることなんてあり得ないと思っていた。
そんな私が燃え尽きた。正確には燃え尽きていた事に気がついた。
毎日仕事に行くのがしんどかった。職場でも居心地が悪く、達成感も感じられずよく分からないプレッシャーを感じていた。
こんな状態が1年以上続いて、突然気持ちの糸が切れた。
生活の中で憂鬱な時間が増えて、特に仕事の事を考えると憂鬱。日曜の夜、月曜の朝は最悪。
でも鬱とは違う。中年の危機かとも思っていたが、喪失感はない。
ちょうど、FIREの選択を手に入れたタイミングと重なっていたので、モチベーションが上がらず気持ちがしんどいのは働かなくてもいい選択肢ができたからだ。と言い聞かせていたが、その気持ちの正体は燃え尽き症候群だった。
仕事に取り込まれていた
一言で言うと、必死で頑張ったのに報われない虚しさ。必死でやってきた事を評価して欲しかった。
報われない、評価されないのなら働く意味があるのだろうか。何のために働いてきたのだろう。
自分を犠牲にして会社や組織のために働くなんて絶対にイヤだ。そんな生き方は絶対しないと思っていた。
仕事は生きていくための手段の一つ。仕事を利用して豊かに幸せに生きていく。
そういう信条で生きてきたのに、いつの間にか仕事に取り込まれ囚われて疲弊し、いろんなものが犠牲になっていたことに気づいた。とてもショックだった。
燃え尽き症候群とは正反対にいて仕事を目的に生きてきたつもりはなかったのだが、そうなっていたことにまだ気持ちの整理がつかない。
働くこと、生きていくことは自分の意志なんて関係なく意図しない場所に流されていくものではあるが、立ち止まり、仕事から距離を置いた方がいいタイミングでFIREという選択肢があったことは良かった。
しばらくは仕事に縛られず過ごしたい。