すべてのものは生滅する、すべての現象は生滅の過程にある一時的な幻のようなものである、すべては常ならぬ無常なものである。執着できるものはなにもない。

そのように理解して、いま、ひとつ乗り越えられない反論妄想がある。

生滅する過程での一時的な現象であるからこそ、その一時的な現象に執着するのではないか。
常ではないからこそ、その消えていく一瞬に価値があるのではないか。シャボン玉に執着してどうするのだ、と教えていただくが、すぐに消える儚いものであるからこそ、その一瞬の現象の流れに執着し、それを追いかけて生きることは素晴らしい人生ではないか。
無常の流れそのものに執着することが素晴らしい人生ではないか。

そのような反論が浮かぶ。それにどう応えて良いか分からない。これが疑であろうか。

さしあたり、この反論のこころの働きも常ならぬものと放っておこうと思う。でも、この反論への答えがあるなら、知りたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?