絵になる美しい街並みを創造する為の粉本/臼杵(うすき)/大分県臼杵市/石畳や切り通しも景観要素にしている街並み
各地域の絵になる美しい街並みを探索していると、時々発見するのが、有名人を輩出した町家だ。ここ臼杵で見た酒蔵を中心に据えた白壁の重厚な町家も作家野上弥生子を輩出し、今では一部が記念館になっていた。野上弥生子は代表作の一つ「迷路」に臼杵を「それぞれの通りが昔ながらの町名で、道路の幅1インチもひろげなければ、狭めもせず、まっ直ぐでも、曲がりくねっても、袋小路でも、中略、みぢんも変わらず保たれているから、中略、当時の留守地たる唐人町を見つけるのにはさう困らないはずである。」と表現、戦国時代から街が大きく変わらないことを出身者ならではの観察眼で、記している。
このフレーズに登場する昔はキリシタン大名、大友宗麟が永禄5年(1562 年)に城を築き、明やポルトガルとの交易により繁栄を謳歌した頃の臼杵であろうが、後を引き継いだ福原氏、太田氏、慶長5年(1600 年)に入封した稲葉氏の時代から現在に至るまで、建物の更新はあっても、唐人町等の町名や街路等の骨格を大きく変えずに引き継ぎ、それらに沿って建つ多くの伝統的建造物が今でも残っていることを意味しているように思われる。
事実、伝統的建造物保存地区の指定を受けているエリアは、石畳を敷設した迷路のような街路と歴史的建造物とで形成される美しい街並景観が往時を偲ばせているし、中でも二王座の旧真光寺前に位置する岩を削り取った「切り通し」は都市景観100 選に選ばれた特色ある空間で、佇めば往時にタイムスリップ出来そうに感じられる。