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自己紹介/アニメーション業界に入るまで

はじめまして、どれみふぁ空次郎です。
アニメーション背景美術の仕事をしています。
2013年に1社目のアニメーション会社背景部に就職し、休職や部署移動などありつつ約6年ほど勤めてフリーランスへ。現在は2社目の背景会社で仕事をしています。
背景歴は途中ブランクもありましたが大体10年くらいだと思います。
10年もやっていればと思われがちですが、まだまだへたっぴなので勉強中です。

学生時代

小、中の頃から絵を描くこと、特に模写が好きでキャラクターばかり描いていました。
しかし、ぼんやりとやりたいことがなかったので高校も美術系ではなく進学コースへ。
大学受験の頃になってやっと絵を描く道へ行きたいと思いました。

とても遅かったです。

受験は大阪芸術大学のキャラクター造形コースを受けましたが、落ちました。
ただ、併願で受けていた文芸学科に合格できたのでとりあえず進学はできました。
文芸学科を受けたのも同じ大学に入ればキャラクター造形学科の授業が受けられるのではないかと思ってのことでした。

はれて大学生になり、憧れていたサークルに入ります。
ずっとスポーツ系の部活だったので大学に入ったら漫画やアニメなどの文化系サークルに入ると決めていたので迷いはなかったです。
そこがグループCASという漫画・アニメサークルでした。
後々知りましたが、島本和彦先生の漫画『アオイホノオ』に出てくるサークルです。
ちなみに庵野秀明さんも大阪芸大のOBだったりします(たしか映像学科中退してたはず)

サークルでは、漫画かアニメどちらを作りたいか迷っていましたが、全員参加のしりとりアニメや新入生で短いアニメを作る共同作業を経てアニメーションに強く惹かれるようになりました。
OBの先輩が制作進行だったので面白い話を色々と聞けたのも大きかったかもしれません。
その時も志望はキャラクターを描きたいと思っていました。
下手くそで人の形も取れずに軟体生物を描き続けていた3年生の途中、サークルの先輩の紹介で美術学科の先輩にデッサンを教わり始めます。
この辺りから本格的に美術に触れ始めました。

4年生になる頃にはデッサン漬けの毎日を送ります。夕方頃から先輩の家に行って朝方まで描く。土日は朝から晩まで。とても楽しかったです。
ただキャラクターは相変わらず軟体生物でした。
今もですが、形を出すのが苦手です。
その頃にはキャラクターを描くよりデッサンの方が楽しいと思い始めていました。デッサンの方がまだマシなものを描けたというのが正直なところでしょうか…。
当時描いた絵はまた別の機会でまとめて紹介したいと思います。
デッサンを通して人物よりも静物を描きたいと思い、延長線にあるのが背景美術だと思いました。
アニメ背景美術になりたい!と思った頃には4年生の半ばくらいでした。

就職活動

就活ですが自分の話はあまりあてになりません。
結局新卒で受けた会社も2社のみでした。どちらも落ちています。
新卒では就職できずにフリーターになりました。
アルバイトをしながらデッサンを続け、ジブリや京アニの背景の模写をすることになります。
途中でとある会社のアニメーション背景塾というものがあることを知り受けましたが、落ちました。
それでも諦め悪く、2度目の挑戦で入れたポートフォリオの一部がこの絵です。(借りぐらしのアリエッティ模写)

その時合格をもらい、アニメーション背景美術の基礎を学ぶことになります。
ただここからの部分は会社の話にもなってくるのであまり多く話すことはないと思います。

まとめ

だいぶ端折った部分がありますが、以上がアニメーション業界に入るまでの道のりでした。確か最初の会社に入った時は24、25歳だったと思います。
基本何にも考えていなかったので行動も具体的な進路も決めるのが遅かったです。
覚えていることは3年の途中からはとにかくデッサンを描き続けたことです。
当時の行動が今の描く体力、描くことを当たり前にすること。生活の一部にすることとして役立っていると思います。

今後もnoteでアニメ背景のことなど書いていこうと思います。
もしこんな話が聞きたい等あればコメントしてもらえると嬉しいです。
いいねしてもらえたら飛んで喜ぶのでよろしくお願いします。

では、またどこかで。

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