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その時気付いたことを大切に(子どもに東日本大震災を伝える その3)#60

 あと10日で東日本大震災が起こって14年になります。
 昨日昔の学校だよりの綴りを整理していたら、私が在籍していたS小学校の「学校だより」が出てきました。そしてそのたよりに挟んでいたプリント綴りを見つけました。
 そのプリントは、(平成23年)3月11日の約半年後の11月1日に全校朝会で私が全校の子ども達に「東日本大震災が皆さんに教えてくれたことは何だろう?」と問いかけたことに対する各学級の話し合ったまとめのプリント綴りでした。
 その中に6年のある学級のプリントがあったので、その内容をそのままここに記します。(私は、各学級が話しやすいように一枚のプリントを用意しました。その項目は、下記の通りです。)
「東北の震災から学んだこと、そして自分ができること」
① 東北地方の人々、応援に来ている人々のがんばっているところ?
② 今でも困っているところ
③ 私が出来ること(東北の人々のためになること、私たちの身近のために
 なること)
④ 私達の学級で出来ること

 実はその学級のプリントは、各々の項目についてはちゃんとまとめていました。が、明らかにそのプリントの欄外の空いた所に溢れ出している(子ども達の声の)記述(冒頭の写真)がありましたので、あえてそれをここに記します。
  『〇 私達は何を得るべきか。  
  → 一人では何もできない。(だから)協力、支え 
   合う、励まし合うことが大切
 〇 事実をちゃんと知って次の世代に伝えること。
  → 忘れないこと、風化させない支え合うことの  
   大切さを伝えること
 〇 大変な状況にあって支え合い協力している人が 
  たくさんいるのに、今の自分たちはどうなのか

  → ちょっとずつ自分の足元からまとまっていか
   なくてはならない
    (修学旅行の班決めでモメていてはいかん)
  → ケンカ……小さいことだけどなくす努力を
   1組から発信していく
  → 自分の我がままを言い過ぎ。小さいことか
   ら確実に
  → 自分さえよければよければ…という考えや
   態度が多い。人を思う。譲り合う。
  → 大変な状況になった時(ならないかもしれな
   いけれど)支え合うよう、日々のことから行動  
   に移す。
   →「一人が我慢」ではなく「みんなで我慢」
   → 団結。仲良い人だけでなくみんな。』
 プリントに走り書きされた子ども達の生の声は、そのまま学級の思いとなり熱意となり私に伝わりました。その時の答えはきっとその学級に新しい風を吹かせてくれたことでしょう。

 また他の綴りに、ある4年の担任が気持ちを吐露した記述もありました。
(学級の話し合った以外に、素直な意見でしたがとてもその先生自身の葛藤が表われた添え書きでした。)
 『私事ではありますが、友人が夏休みにボランティアに行ってきました。「行けば何とできると思っていたが何もできず、レンタカーで被災地を回ることしかできなかった。」と話していました。別の友人は、県警として福島に……。
 話を聞いていると「私自身」が何もしておらず、何もできないということを感じました。……(中略)……  
 遠く離れた九州であるからこそ、他人事になったり上辺だけの綺麗事にならないよう、これから少しずつ話していきたいと思います。私自身も語る言葉が見つからず、子どもたちには上記のようなことをそのまま話しました。指導が至らず申し訳ありません。保護者にも同じように話しています。

 あれから14年。この時6年の子達は今年26歳になりました。(4年生は24歳)
 この時の思いはきっと一人一人の心の中に生きていることでしょう。たとえ先々覚えていない子もいるでしょうが、この時この学級で(全校の全学級で)得た思いや考えは次の自分へのステップとなったことでしょう。前述の二人の女性担任も、心の中の小さな炎をずっと保っていることでしょう。最初の担任は、去年から校長に昇任しました。きっとたくさんの子ども達に、熱い思い(炎)を見せていることでしょう。
 この時担任から集めたプリントは、今も私の手元にあります。綴りを紐解くごとに、燃え続ける炎の暖かさを今も感じます。(令和7年3月1日)

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