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今年の夏休みを思うⅠ(身学道は今?) #50

  今年の夏は、異常な暑さになっています。
  小学校も子ども達には楽しい夏休みに入っていますが、本当に「楽しい」なのだろうかと考えてしまう今年の暑さです。

 夏休みは、暑くて授業にならないという理由でここ15年は学校の施設及び教室には空調施設(クーラー)が備わってきています。するとたとえ夏でもクーラーがあるから授業が出来るという話から夏休みに入る時期を遅らせたり、また逆に二学期の開始を一週間早めたりと授業時間の確保が話題になってきているのも教育現場の最近の特徴です。

 そんな風に考えていると、ふと昔の夏のことを思い出しました。
 私の知る範囲では、今から10年前までは、まだ昔の夏休みでもあった気がします。
 夏休みが終わる9月の始業式に出した学校だよりにその時の様子が垣間見れるのでその時の学校だよりの一部を下記に記します。(平成18年9月1日 N小学校の学校だよりより)
 『去る8月26日(土)は、学校では、ビオトープづくりの前準備として、子ども達、保護者の皆さんと午前中は植物採集や昆虫採集を、午後からは植物と昆虫の標本づくりを行っていました。
 実はその同じ土曜日の午後に、N○少年野球クラブの子ども達と保護者の皆さん全員にも、運動場の除草作業をしてくださいました。N○少年野球クラブの皆さんによる学校への感謝の気持ちを込めてのボランティア活動の一環でした。子ども達をはじめ、保護者の皆さんは、暑い中、大汗をかいて一生懸命働いていただきました。本当にありがたいことだと思うとともに、このようなボランティアを通して、子ども達の心はきっと大きく成長するであろうと思いました。
 そんな姿を私は校長室から見て、自分の小学校時代(昭和30年代後半)は、学校作業や家での手伝いや仕事が今よりもかなり多かったのではないかと思い出しました。だから、今時の子ども達に比べ、全体的に我々の世代の方が心身のたくましさや自立心がより強く育っていたように思います。
「身学道」「心学道」という言葉があります。我々の子ども時代はどちらかというと、体を使った「身学道」を通して成長してきたように思います。ところが、今時の子ども達は頭を使った「心学道」を通しての成長の傾向が強いのではないかと思います。
 体を動かしたり、鍛錬したりしての体験を通して学び育つ機会や場は、私達の身の回りにはまだまだたくさんあります。大人の私達は、子ども達に「身学道」での成長の機会や場を与えてやる必要があると思います。そのことが子ども達のよりたくましい、調和のとれた知・情・意・徳・体の成長を促すと思います。
 N○少年野球クラブの子ども達は、きっと暑いのを我慢し、きついのに耐えて一生懸命に作業に励んでくれたと思います。おかげで、学校がきれいになりました。そして、子ども達は、この「身学道」を通し、達成感と満足感を味わい、少したくましさを身につけてくれたのではないかと思います。
 採集、標本づくりの友達と除草作業の子ども達。    くしくも同じ時間に違う活動が行われましたが、共に目的をもってやり遂げたことは、夏休みの大きな成果になったことでしょう。』

 改めて昔の学校だよりを読むと、今の親御さんだったら、「こんな暑い中で作業をさせるなんてとんでもない。」、「熱中症になるのが分かっているのに……。」それどころか、「これは体罰ではないか。」と言うお叱りの言葉を聞きそうな話でした。
 昔の自分(60年前)だったら、夏休みに入った朝から虫採り網を持って家を飛び出していたのは確かです。それも水筒も持たないで飛び出し、喉が渇いたら家に帰っていた毎日でした。そして夏休みの終わりの週は、宿題に追われていたのも確かです。
 しかし今から15年前の夏休みでも、朝から校庭の虫採りに来ていていた子もちらほら見えていたし、留守家庭子ども会(今の放課後児童クラブ)の子達も、校庭でボール遊びをしたり水遊び?をしていたのは確かです。
 それが今(10年ほど前)では、クーラーを付けていない自治体や学校、学級が糾弾され、また行事の際に外で活動させたら何を考えているのかと苦情が出、また中学校でも暑い体育館で部活をさせるとそもそも運動禁止の基準の室温をあらかじめ保護者に伝えていなかった(文書で示していなかった)等の苦情が届きます。

 暑い夏。
 異常気象に原因がと思いますが、物と人の価値に大きな変化が起きているのは確かなことです。(コロナのせいとは思いたくはありませんが)
 「身学道」「心学道」と言う言葉はもう無くなってしまったのでしょうか。そして「夏休み」という言葉を聞いて、目をキラキラさせていた子どもももういなくなったのでしょうか。なんとなく寂しい思いがします。(令和6年8月3日)

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