転校してよかったか Ⅱ #56
前回書いた「転校してよかった? Ⅰ #55」の2年後に、実は市教委からそれと同じ転校の要請がありました。辛い話が続きますが、実際の話として理解して欲しいと思います。(14年前の話です。)
やはり12月頃。年の瀬の商店街が赤いポインセチアの花で色鮮やかに飾られているそんな頃でした。私は校長として3校目の赴任地(S小学校)に異動していた時の話です。
同じく隣の学校でしたが、今度は前の事例とは大きく違い、地域の方や地域のスポーツ関係の子ども達から陰湿ないじめが起こっているとの話が私の耳にも入ってきていました。6年の学級で男の子に対していじめが起こっていること。地域の方の話によると、その子が男の子数人から囲まれて暴力を振るわれていたこと。ある雨の降った日の帰り道、後ろから手を出され、地面に倒れた時に顔に泥をつけられたりその泥を口に入れられたこともあったなどそんな話でした。
私自身もこれは早く何とかしなくてはいけないと思い、当該校の校長先生に電話をしようと思っていたその日のことでした。そんな折に、市教委からまた電話がありました。
「〇〇校長先生、またお願いがあり電話をしました。」
「□□小学校のことですか?」
「もう聞かれていましたか。」
………………………………
私は市教委が掴んでいる事実関係を改めて確認した上で、その電話ですぐに承諾の話をしました。私は、事態が事態なので早く転校をと思い、その話を急ぎました。当然、その子とご両親との面談も。・・・・・・。
この件は、情報がたくさんありすぎていたので、逆に受け入れ担任との話を密に、学級の子ども達との話も少し進めていきました。一つ好都合だったのは、その子と社会体育(地域のクラブチーム)で同じチームだった子が一人私の学校に居たことでした。結果的に、その子を中心に学級の子ども達との関係も良好となっていったのも確かでした。またよくある話ですが、学級の子どもの中に「彼の前の学校でのこと」を聞く子も出てきて担任も困ったようですが、担任の
「あなたはそのことをどう思いますか?」
「では、あなたは何ができますか?」
の問いに、他の子達もその子のことを考えその子を支えていったのも事実でした。
そして無事、卒業式を迎えることができました。
先日、小田和正さんのアルバム「自己ベスト3」を聞く機会がありました。そのアルバムの最初の曲を聞き、私は「そうだったよな。」と思いました。曲「すべて去りがたき日々」の中の一節でした。
……………………
みんなの言葉を 決して忘れない
くじけずに 歩いて行く 勇気をくれた
どんな時も 一人ではなかった
時はやさしく やさしく流れた
……………………
この歌詞の中の「一人ではなかった」の言葉が、卒業式の日にその子が私に話してくれた言葉とかぶり、同時にその時の彼の顔を改めて思い出すことができました。13年の年月が経ちますが今でも私はよかったと思います。
いじめの問題は、教育を司るものにとって絶対解決すべき命題です。時には自分のふがいさから自分が情けなくなることもありますが、それでもそのままで見過ごすことができない問題です。最近のニュースを見るにつけ可哀想な事例が多いです。どうして周りは動かなかったのか。だれかが言わなかったのか。
この事例では、周りの子の中に、
「〇〇君のことを思うと、僕は悔しくてたまらない。」
と涙した子のことがとても印象的でした。そんな心の底からの叫びが周りの子の心を動かし、「一人にさせない」「ぼくら一緒だよ。」の言葉に繋がったと思います。
まさにその学級では、「時はやさしく やさしく流れた」のでしょう。
私は、昔から小田和正さんの曲をよく聞いていました。歌のリズムのよさもありますが、時にはその歌の歌詞に惹かれることもありました。歌が自分を見つめさせ、時には歌からヒントをもらえることも多かったと私は思います。だから歌は人を強くするのも分かります。
この転校の話では、私は先ほどの担任に任せてよかったと思いました。
担任が子どもに考えさせる場面を作ってくれたこと。そしてそれは日頃から「考える学習」をモットーに授業を実践してきた先生だからこそ任せられたのかもしれません。
こんなことを思うと「学級経営の素晴らしさ」を改めて思う次第です。
この時の男の子は、今年で26歳になります。きっと人として成長しいい大人になっていることでしょう。そしてその担任は、現在は学校の中心となって力を発揮しているようです。(令和6年12月18日)