Break!

  生活に区切りがつかないという言い訳を引っ提げて、何か考え事でもしようかと思い立った。まぁ特に大したことを考え付くわけでもなく、ただ一人部屋にこもってパソコンをカタカタしているだけだ。こういう時間こそ自分が一番生き生きしている時間であって、あんまり人に見せたくないなと思いつつ、そもそも見せるもんでもないかとか色々考えているとあっという間に時間は過ぎるし、まるで自分がこの世界から追い出されたような感覚にさえ陥る。それはそれでいいけど。

 ちょっとしたことで人の何かは変わってしまうと私は考える。自分は人間関係がそうだった。きっかけはいつも分かりずらくて、ある時はそれがバナナクレープだったしある時は1本の鉛筆だった。壁の奥の方からひょっこり顔を出すみたいに、そいつはいつもこちらを見ていていつでもチャンスをうかがっている。そのチャンスは、来たるべきタイミングというよりかは「ちょっとはみ出たらそのまま進んじゃいました」みたいに、ある種一つの事故みたいにこちらへ来る。それはもう、突然に。こうやって出会いが決まるのなら別れが来るタイミングもきっと突然なのだろうと思う。なんでもない些細なこと。しかしその些末なことさえ当の本人にとっては何物にも代えがたい大切なもので、それに対して第三者がとやかくいうという行為は非常に愚かなことなのではないかと思っている。この考えはずっとブレない。
 自分は人との縁に少しトラウマのようなものを抱えている。今までに何度か「一緒にいても面白くないよね」だとか「いつもニコニコしてて何考えてるのかわからんな」と言われたことがあるからだ。そういった経験がゴミ袋みたいに積み重ねられていって、人と交友関係を結ぶことに対して躊躇いを覚えるようになった。最近はマシになってきている。はず。去る者は追わず来る者は拒まずを実行するにはある程度の度胸が必要で、自分みたいな生半可な気持ちでのらりくらりと生きている人間には難しいところがある。来るものは拒まないが去る者はできるだけ作りたくない。だからいつも我慢をする。自分じゃない自分が機械的に前面に出て、やたらと顔を良くする。壊そうと思えばいつでも壊せるものを、壊さないように大切に持っている。そんなことを毎日繰り返している。

 多分、そのうち心がやられるだろう。直感的にそう感じる。そろそろこの状態から脱却しなければなと常々思う。ただコントロールが難しい。壊れたコントローラーでマリオカートやってる感じ。右に進みたいのに止まるわ、まっすぐ進んでほしいのに草むらに突っ込むわで手に負えない状態になってしまう。自分のコントローラーが手元にあったとして、最近は「自分にこんな動きあったんだ」となることが多い。だから何でもかんでも試してみようと思うんだけれども存外いい感じにいくこともなく、そこに残るのは虚しさとその事象に巻き込まれた人だ。「他人に迷惑をかけないように」を心がけている私にとっては相当な痛手。その分彼らに何か還元してやろうと思うんだけれども、大層なことができるわけでもなく精々一緒にご飯を食べることくらいしかできない。恩を返すことは難しいなと思うけれども、私も楽しませてもらってるので得策といえば得策かもしれない。
 最近「無理しないでくれ」とよく言われる。それはすごく有難いことだし、自覚ができた瞬間にやめようとは思っているんだけれど自分の限界を知ろうとすると、必然的にそれは「我慢」でありその結果招かれるのは「無理」であるということに気づいた。止めてくれる人いないとどんどん進んでいってしまう。なので、誰でもいいので私が暴走しだしたら全力で止めてください。恐らくこの一週間で潰れるし、もし潰れたら来週のどの日にするかは決めてはいないけれど休養がてらどこかに行こうかと妄想している。焼き肉行ってサイドメニューを大量に注文するのも面白そうだ。ちょっと楽しみ。

 パソコンの充電がなくなり、先ほどまで静かだった空間に一つの音が鳴り始めている。ブーンという音とともに文字を打ち込み段々心地よくなってくる。近くにあったキャラメルを口に放り込む。外の空気が冷たくなってきた。もう、秋が終わる。


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