勇者

 追い込まれている課題から目を背けて息抜きがてら思いの丈を綴ってみることにした。なんだか最近はひどく忙しい。ありがたいことだけれど。課題は無間地獄のように終わらないし、勉強は周りの環境と自分のレベルの差に圧倒されて関心する反面、ひどくセンチメンタルになる。だからといって何もできないわけでもなく、ひたすらにかみついて後をついていってます。もうダメだってなったときは、なるたけ早く寝て全てを忘れるくらいにはまともになりました。

 友人が優しい。それはもう、怪奇的に。自分は疑心暗鬼の部分が結構あるので、何か企んでていつか「恩返しですよ」つってとんでもないことをさせられるのかもしれない。そう思うくらいには優しい。自分が願っていることを叶えるがために自ら犠牲になって(飛び行って?)戦ってきてくれる勇者みたいな人や、一緒に帰っているにも関わらず寝ている自分を文句ひとつ言わずに横でゲームしている人、およそこれ以上人格は是正できないようなじょうたいになっているひと、三種三葉だ。おかげさまで毎日が鮮やかで、まるで名作の絵画が書かれている時のようにすべてが華やかに見える。どうもありがとう。何かしら彼らにとって理があるような自分になりたいけれども、どうも私にそういったことは向いていないようで割と空回りし続けている。ある時言われた。「君はこのグループを作ったんだから何をしても君の自由だよ」と。最初言われたときはさっぱり意味が分からなかった。「自分が?この環境を作り上げた?みんなが作ってくれたのではなく?」と思っていた。しかしそれを根っこから否定するわけにもいかないので取り敢えずその場は曖昧な返しをしておいた。ちなみに今でも理由はわかっていない。そのうちわかるだろうしいいや、と思って何も解決していない。誰でもいいんで答えを教えてください。

 今生きている日常は非日常でそれに気が付くには意外ときっかけなんて大したことでもないのだと思う。できるだけ美しく生きていたい。誰の意見も一度は受け入れることができる心の広さや、不安を孕んだ優しさを押し付けがましくしない性格の人。どちらも自分とはかけ離れていて、最早面白いと思ってしまう。しかも、そんな性格をした人間が身近にいるもんだから割と拷問に近い。楽しいことがしたいな。昔から「損をする人間だね」と言われ続けて生きてきた。曰く、「優しすぎるから」らしい。優しすぎるの意味が到底理解できない。自分としては善意としてやっていて、相手が気を遣わない範囲でやっていたつもりがきっと失敗していたのだろう。そう考えるとヒーローはすごい。彼らは町を守るために動いていて、最後には感謝されて終わる。戦いが終わった後に「あいつは町を壊しすぎだ」とか「あいつの展開にはもううんざりだ」とか言われているところを見たことがない。人を悲しませないようにヒーローになりたいとも思うが、まずは人を怒らせないためにヒーローになりたい。

  ちょっと問題が起きると「SNSをやめたいな」と思う。今に始まったことでもなく、ずっと昔から定期的に訪れる。私にとってはキラキラしすぎているものをみていると、精神的にどんどん貧しくなる。あいつはどうだとか、こいつは気に食わないとか変なことを考え始めてしまう。見たくないものは見たくないし、考えたくないものは目を背けたくなる。そういう時は大抵少し距離を空けると復活する。ただ、今はそうも言ってられない状態だ。SNSは嫌だけれど、それをなくしてしまうと私が私でなくなってしまうような気がしてしまうみたいな状況だからだ。駆け引きをしている今、私に必要なものはなんだろう。いや、何が必要とかはたぶんない。多分だけれど。だから今ものらりくらりと続けようかなと思っている。

 息抜きにも限界が来た。明日は何を終わらせようか。作業ゲーみたいに一つ一つが終わっていくのは嫌いではない。大学と家をひたすらに往復している私は、端から見たら長めのシャトルランをしているようだろう。家ではほぼスライムみたいなものなので人間というカウントはできていない。取り敢えずあとひと月は人の形をしていようと思う。
できるだけ迷惑をかけないように。理があると思ってもらえるように。


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