内臓と精神と比喩表現
メンタルが弱い事をガラスのハートと言ったり、強いメンタルの持ち主を強心臓と言ったりする。僕らの中では心の位置は心臓にあるという事が既に常識みたいだ。
メンタルが丈夫な人は"ハートが強い"と表現される。つまりは心臓が強いってことだ。
なんで精神の強さが心臓に直結するんだ。比喩表現とはよく分からない。
あと、急な出来事にも動じない人を「強心臓」と言ったりもする。同じ意味の例えで「肝っ玉がデカい」という表現もある。
心臓が強い人間はもれなく肝臓が大きいみたいだ。肝臓が大きい事に関してはもはやそれがいい事なのかどうかも分からない。なんなら健康上は悪そうな気もする。
"心臓は強いけど肝臓は小さい奴"や"心臓は弱いけど肝臓が大きい奴"はあまりみない。そこは絶対に「心臓が強くて肝臓も大きい奴」がお決まりなのだ。
これと似たような意味の例えで、ビビりな人に対して「金玉が小さい」という例えも耳にする。
という事は、"メンタルが強くて何事にも動じない人間"は、「心臓が強くて肝臓が大きくて金玉も大きい」という事だ。もう緊急入院した方がいい。
もっというとそんな奴はそれに加えて気前もよく、「太っ腹」だったりする。
ということは"メンタルが強くて何事にも動じず気前のいい人間"つまりは「心臓が強くて肝臓が大きくて睾丸も大きいデブ」という事になる。もう化け物だ。
でも精神的には極めて良好な状態でむしろ、「理想の男性像」を指す例えだ。こんな奴モテるはずがない。
精神的な状況を内臓と結びつける例えがこんなにもなんでもアリなら、もう自分で生み出してもいい所まで来ている。「大腸が太い人間」は我慢強かったり、「胆嚢が硬い人間」は堅実だったりetc、、、、だからなんだって話。