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ドールハウス(、思い出及び夫婦の絆)の構築(2024.1.14)

今日は一日家にいてドールハウスずっと作っていた。昨日は家具を作ったんだけど、今日は建屋というか家の構造の方を作った。娘からは扉を作ってほしい、というオーダーがあり、扉の作り方についてひまほちゃんパイセンをはじめ様々なパイセンの動画を見て確認したんだけど俺的にたどり着いた結論としては「これを作るのは(まだ)自分には無理だ」と。で、改めて娘から「壁に穴が空いていて、そこから内外を行き来できる感じならよい」という趣旨説明を受け、であれば、って穴をあけた。あとは、自分的に窓を作りたかったんだけど、娘が別の棟で窓を作っていた関係で、俺には窓を作ってほしくない、というような話だったので窓は作らず、壁にはデザインペーパーを貼るだけにとどめた。俺としてはちょっとチャレンジングなことをしたかったので、窓つくらせてもらえなかったことにがっかりしたんだけど、その点からもわかるように、ドールハウスは子どもに付き合うスタンスでやってたはずだけど、だいぶ俺自身がのめりこみつつある感じがする。ある種、娘のおかげで一つ趣味が見つかったとも言える気がしていて、その観点でも娘の存在に感謝したいという。例えば公園で滑り台で遊ぶとか、ちっちゃい頃に遊んでた遊びの楽しさを娘のおかげで追体験しているという話を前に書いたけど、そういう追体験もの以外にも、娘のおかげで新たに体験する事項も結構あり、それによって自分の世界が広がる感じがあって子どもとの出会いに感謝したいと思う。
昨日ドールハウスづくりの過程でペンのインクを床にぶちまける事案が発生し、俺なりに拭いたんだけど一部拭ききれない部分があり、さっきそれを把握した嫁が、今までそれを除光液的なもので拭いていたものの拭ききれない部分があったようで、それなりに残念そうにしていた。俺としては、万物流転、永久に汚れることの無い床などない、と内心うそぶいていた(表面上は神妙な面持ちをしていた)ので、まぁ嫁の気にしすぎな性格を憐れむような、その性格のせいで俺もちょっと神妙な面持ちしないといけなくなるのがめんどいのでその気にしすぎな性格克服しろよとか思っていたんだけど、ほかならぬ自分の妻のことなので、まぁもうちょっと寄り添って考えてあげられれば良かったというか、そうすることが夫としてのあるべき姿だよなと思ってる。
来週は訴訟で裁判所からの和解案の提示があったり、別の事案で和解を断る断り方の打合せがあったりって感じなんだけど、どちらも一定のややこしさを持つ案件なので、それなりに準備して臨みたい。 

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