オースティン・パワーズ(2024.11.28、29)
28日は訴訟の書面確認があって、俺としてはそれなりにいい指摘を思いついたかなと思ったけど、この期に及んで(もう結審が近いと思われている)主張すべきじゃないんじゃないか、という話になって俺としてはその見解を受け入れた形だった。いちおう担当さんの意見に従ったような形だったんだけど、それがいけないわけではないけど、本来的には俺がむしろ方向性を決めていく、という形でないと、その担当さんの負担という意味でもよろしくないはずなので、「俺が方向性を決めていく」にできるように、力をつけていかないといけない。当然、俺が司法試験受かって弁護士になるとすれば、その辺の地方自治体の職員をはるかに凌駕する法的知見を備えていないといけないわけで、俺はそういう状況を目指しているのだから、「俺が方向性を決めていく」というのは通過点でしかない目標であって、実現すべきであって、またじゅうぶん実現しうる目標として実現を目指していきたいと思う。というか弁護士の話について、直接的には訴訟の書面書くの楽しいからやりたいと思っているわけだけど、他のメリットとして、やっぱり労働の、ひいては自由度が高くなるということがある気がしていて、他の俺の興味軸たる地域振興とか次世代育成とかについてもいち事業者として取り組んでいく余地があるんじゃないかという気がして、一方で歳喰ってからだとそういうことするエネルギーも減っていってしまう可能性もあるので、早めに受かって早めに退職して開業するにしくはないんじゃないかという気がしてきた。仮に本当にそうするとすれば、固定的な総収入は減るわけなので、節約とかも考えないといけないし、嫁にいつまで働いてもらうかも考えないといけないけど。嫁が早く仕事を辞められるようにするために開業する、という発想もなくはないんだろうけど、やはりそれは本末転倒ですわね。
昨日は娘の、幼稚園最後の生活発表会であった。娘は村人Aという大役を見事に演じきったわけだけど、娘は俺にとって唯一無二の存在なので、そんな娘の演じた村人Aは、冗談でもなんでもなく、大役以外の何物でもなかった。感想としてはなんとなく淡々と終わったなという感じで、結局いちばん最初の年がいちばん感動したというのは否めない気もするけど、まぁ娘が、そして他の子たちも協力し合って一つのものを作り切ったというのはそれとして素晴らしいことだし、感動するにじゅうぶん足りることだよなと思う…とか第三者的に見てしまっている時点で感動し切れていないのは否めないんだけど、なんというか、よかったですよ、間違いなく。