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僕は風野灯織をめっちゃ好きだったらしい

 先に簡潔に申しておくと、これは自分がLIVE FUNDay2のことを思ったよりも好きになれなかったという不満を連ねたものに見えるかもしれません。不出来な脳みそを使用していること、私個人の思想が色濃く出ていることなどイライラする要素があると思われます。その部分についてはご了承下さい。

 私がシャニマスを始めたのは2021/7/10、ちょうど「OO-ct. ──ノー・カラット」イベントが終わり、アイドル強化月間が始まる頃である。だが、私の脳裏には始めた頃の記憶として「You're My Dream・園田智代子」がタイトルにあった。その記憶はおそらく月ノ美兎の配信に映っていたタイトル画面であろう。あれはたしかノクチルの「天塵」だった。私はあのコミュを読み、シャニマスを面白い物として認識し始めた。そう、私も例に漏れず浅倉透、樋口円香という初心者ホイホイに引っかかってしまった哀れなシャニマスPなのだ。運命の出会いを果たしたのは浅倉透だった。WINGに苦渋を飲まされていたのも今ではいい思い出である。そんな私なのだが、シャニマス知った時とは別のシャニマスをやり始めた時の記憶を遡ると私は「涼・風野灯織」がタイトル画面に写っていたのが心に残っている。日数を考えればちょうど面白くなってきた所ではある。私はまだ風野灯織のことなど気にも留めていなかった。


 時間は少し経ち、WINGに苦戦を強いられることもなくなってきた頃。ノクチルのコミュが底をつき始めた。持っていないカードをドンピシャで当てるような徳のある人間ではないので他のユニットを読んでみようと私はイルミネーションスターズに触れ出した。きっかけは単純だったと思う。最初のチュートリアルでアイドルのプロフィールを眺めていた時、事前情報で知っていた浅倉透、樋口円香の他に風野灯織が候補に上がったから。そんな陳腐な理由だったと思う。けれどその選択が私を抜けられる見込みすらない沼に溺れさせたと同時にただただ惰性でゲームをして退屈を紛らわせる毎日から脱却をさせた。サラッと初期コミュを読み進めた後、面白いコミュに飢えていた私はすごく軽い気持ちで「チエルアルコは流星の」や「小さな夜のトロイメライ」に手を出した。〜おじさんの敬称(蔑称?)がつくほどにシャニマスP達が賛美を送っていたコミュはその評判に違わず、ルパン三世のカリオストロのように、私の心はシャニマスというゲームに奪われた。誰もが通る道だろうがその後は息をするようにコミュを読み進めた。きっかけこそ八宮めぐるが作ったからこそ八宮めぐるのことを好きになるのだろうと思いながらコミュを読んでいくと(ここに関しては言語化ができなかった。今でも私にはわからない)風野灯織が好きになっていた。好きになった理由が明確でないのもあり、私は風野灯織については顔が好きなんだろうな程度にしか感じていなかった。クラスのマドンナを可愛いと言う感覚に近いものだと納得させていた。

 前置きが随分と長くなった。ここからが本題である。私はクリパからシャニマスのライブというものを見始め、クリパからはシャニマス単独のものはひとつたりとも欠かさず見てきた。(リリイベなどを除く)私はその時は少なくともあの会場に風野灯織がいないということは気にしていなかった。もちろん夢想したことはあっただろうが、それは想像の範疇であり、少年、青年達がかめはめ波を出せずとも落胆しないのと同じようなものである。5th、それまで私にとってあの場所に風野灯織はおらず、あそこに風野灯織がいるということはゲーム、物語の中だけの話だった。そんな不甲斐ない私の心とは別に、近藤玲奈の心は折れていなかった。私はあの場所にイルミネーションスターズが立っていたことをおそらくあまり認識がで出来ていなかった。今こそ記憶思い返せばそれはもう目に潤いが保たれるが、あの時はなんだかフワフワとしていた。そんな気持ちだったからこそ私は風野灯織への愛を軽視していたのかもしれない。5th、我儘なまま、5.5thとイルミネーションスターズが揃うことが増えていった。だが6th LIVE。私は全公演現地参加することができたのだが、あのお祭りの雰囲気と公演を見終わった自分の感覚は少しだけ違和感があった。その時はそろそろ大学が始まる時期でもあり、不安な気分が混ざっていたのだろうと思っていたのだが、今となっては疑いようはない。あのぽっかりと何かが足りないような感覚は風野灯織を見ることが出来なかったからだ。

 LIVE FUNでは両日の最初に行われた「ヒカリのdestination」「虹になれ」そして最終の全体曲数曲に参加だった。(まだアーカイブはちゃんと見れてないので間違えてるかも)あの衝撃は凄まじいものがあった。これまでのライブの中でも開演までのドキドキはトップクラスだったように思える。小学校のクラス発表会を思い出させるほどの緊張感があった。そんなにもガチガチだったというのに「バベルシティ・グレイス」「アルストロメリア」「夢咲きAfterschool」という爆上がり曲で心臓の鼓動が更に早まっていく中で流れた「ヒカリのdestination」は待ちに待っていたもののはずなのにまともに聴くことが出来なかった。灯織の少しだけ滑舌の気になる、けれども誰よりもしっかりと耳に響くあの声を耳にした瞬間に私は嗚咽が止まらなかった。(近くだった人はごめんなさい)私はここでやっと自分が風野灯織のことをすっっごく好きなのだと自覚した。
 LIVE FUNのDay2を現地参加した人であれば一番印象に残ったのはアカペラ大合唱をした「Twinkle way」と十中八九言うだろう。だが私はDay1にて風野灯織を意識してしまったことでどうしても現地にいた時には心に刺さらなかった。もちろんあそこには真乃とめぐるが立っていた。そこは疑いようもなく、あの瞬間が満天の星にすら勝るほどの輝きを放っていたのは確かだ。もうなんとなく察しはついているだろうが、私はあの時あの瞬間、風野灯織がいないことを気にしてしまった。どんな気持ちでこれを見ているんだろう。悔しいだろうな。そんな私程度にわかるはずのない灯織の気持ちが私の頭の中を渦巻いていった。そんな少しだけどんよりとした気分の残る中で友人達が「Twinkle way」について話しているのを聞いていると私が思っているこの気持ちが異常なのだと気づいた。Twitterですらこのような気持ちを吐露している人はいない。私はそこで自分が風野灯織というアイドルに並々ならぬ感情を抱いていたことに気づいた。あの子が笑顔を浮かべていなければ私は幸せにはなれないのだとそう気づいた。

 私は別に近藤玲奈さんがライブにいなかったからあの「Twinkle way」を楽しめなかったと言いたいわけではない。ラブコメ主人公すら苦笑いを浮かべるような、感覚すら機能しているのか怪しい私があのトラブルによって生まれたあの眩しく輝く光の中。それでも青い光を求めてしまうほどにあの小さな女の子を好いていたと気づくことができたのだ。私も正直LIVE FUNにおいて一番は「Twinkle way」だったと言わざるを得ない。ただこの曲に感じていたモヤモヤを文にすることで解消し、この喜びを少しだけでも分かち合いたかった。そんな気持ちでこのnoteを書いていた。今なら全力で言えるだろう。私は風野灯織という女の子が大好きだ。

ここまで読んでくれた方には最大限の感謝を申し上げたい。こんなただの自慰行為のような駄文を読んでくださりありがとうございます。
正直に言って良いんですよ。キモいって。
最後にひとつだけ文句を言いたいことがあります。「Twinkle way」のことをツイートするのはすっごく賛成ですし、皆さんの綺麗な言葉で書いていただくべきだと思うのですが、「真乃とめぐるがいたんだ!」で終わらせずに「イルミネがいたんだよ!!」と言っていただけると私が少しだけ嬉しいです。なんか寂しいじゃないですか。イルミネ史どころかシャニマス史に残る名場面に「真乃とめぐる」なのは。それだけです。

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