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傘 ~守護の熱 第七話

 季節が、温かく変わると、星を見られる時間が、短くなる。羽奈賀はねなががランサムに渡って、ひと月経ち、桜の季節になった。星見の丘での、撮影も少し変えてみた。夕暮れの桜を撮影したりしながら、暗くなるのを待ったりした。こんな時、羽奈賀がいたら、一緒に、商店街のコロッケや、あいつの好きな、坂城の和菓子屋のあんころ餅を持ちこんで、花見になる筈だったが、一人なので、あの自販機で、地元のメーカーの小さな缶の、りんごジュースぐらいにした。

 星見の丘で、いつものように、カメラを三脚に据え、しっかりと固定した瞬間、鼻先に冷たいものを感じた。春の山の気候だ。慣れている筈が、どういうわけか、今日は、読みが外れた。雨が降ってきた。慌てて、カメラを三脚から外し、ケースに入れた。木々の間にいたので、急ぎ、濡れないだろう所に避難する。

「しまった・・・これじゃあ、動けないな、カメラが濡れる・・・」

 雨は酷くなってきた。空身なら、濡れて帰ってもいいが、カメラが気になる。これも、アルバイトで金を貯めて、丁度一年前ぐらいに、買ったばかりのやつだ。先日、ヤクザに壊されそうになった時は、一瞬、諦めたが、こいつは、あの時、命拾いしている。こんなことで、ダメになるのを、みすみす、待つわけにはいかなかった。一先ず、できるだけ、濡れないように、着てきたジャンパーを脱いで、カメラを包んだ。三脚は二の次でもいい。

 大木の影で、雨が止むのを待っていた。急の雨降りだが、その分、丘から見た眺めが、いい感じの風景になってきた。カメラを護りながら、撮影できれば、写真に残したいような、綺麗な風景となっている。靄がかかり、桜が浮かんでいる感じだ。

「・・・」

 何か、高い音がした。猫でもいるのかと思って、坂下の方に振り返ると、雨の音に混じったそれは、人の声となり、はっきりした。

「どうしたの?雨で、帰れなくなった?」

 赤い傘が見えた。あの、清乃という女だった。

「濡れてるじゃない。抱えてるもの、護ってるの?」
「・・・あ、・・・まあ」
「いつも、そこで、夜、星を撮ってるんですって?」
「そうです」

 きっと、あのヤクザから、聞いたんだな。

「それ、カメラでしょ?・・・よりも、君がずぶ濡れだよ。風邪、ひいちゃう、はい、これ」

 彼女は、俺に傘を差し出した。男物の長いやつだった。

「でも・・・」
「ああ、いいの。あの人には、また、違うの、持っていくから、はい、使いなさい」

 傘を、俺に押し付けてきた。俺は、頭を下げて、受け取り、傘を広げた。

「それ、大事なんでしょ?早く帰った方がいいね。それ、今度、ついでの時に、返してくれればいいから。私、この坂下の左の奥のアパートに住んでるの。あの人、上の旅館に勤めてるから、よく会うのよ、この自販機で待ち合わせ」
「ああ、だから・・・」

 つい、そんな言い方をしてしまった。

「そう、だから、よく、目撃されるのよね。二人でいるとこ・・・うふふ」
「・・・」
「とにかく、はい、また、会えそうだから、その時に返して、じゃあね」

 彼女は振り返り、坂を下りて行った。何となく、そのまま、彼女の傘を目で追ってみた。坂下の自販機の前で、右に曲がり、そのすぐの別れ道を、左に入って、赤い傘は消えた。さっきの説明でいくと、その先のアパートに住んでいるらしい。よく、この辺りに来ているが、そっちの道は行ったことがなかった。何となく、私道っぽいので、行ったらまずいかなと、小さい時から思っていた道だった。俺に傘を渡してしまったから、予備の傘を持って、旅館まで、男を迎えにいくのか・・・でも、旅館に傘なんて、ありそうだよな・・・。

「口実なんじゃない?」

 ああ、そうか。羽奈賀なら、そう言いたそうだな。二人はデキてるから。俺は、何となく、納得して、荷物を纏めて、家に戻った。

 びしょ濡れになって帰ってきたのを、義理の姉が出迎えてくれた。見慣れない傘を一瞥したが、何も聞かずに、そのままにしてくれた。

「お帰り、雅弥君、ああ、濡れたねえ。天体観測、今日は外れね。お風呂、丁度湧いたから、入っちゃえば」
「ああ、うん」
「ご飯もできてるから。鷹彦さん、今日、帰ってて」
「そうなんだ」
「ご馳走だよ」
「じゃあ、五目卵焼きかな」
「そう」

 そういうと、バスタオルを渡してくれた。少し、さっきのあの人の雰囲気を思い出した。ひょっとすると、齢の頃は、変わらないかもしれないな・・・。

 義理の姉、兄嫁に当たる明海あけみさんは、さばさばした人で、母とも上手くやっている。いいお嫁さん、と、近所でも言われているようだ。俺と兄は、一周り、齢が離れていて、兄貴は結婚も早かったので、彼女も、子どもの頃から家にいてくれる、家族の一人だった。何か、俺がドジをして、親父に叱られそうな時に、何回か、黙っていてくれたり、とにかく、事が荒立つような、揉め事などが嫌いだから、と、庇ってくれるようなことがあった。

「こういう時は、頭を下げてね、嵐が過ぎるのを待つのも一つ。悪いことをしたり、何か、心に引っかかることをした時には、それは本人が、きっと、後悔したりして、解っているから、それなら、もう、他から言われることはないでしょうからね」

 兄貴がその明海さんと結婚して、すぐの頃だった。小学五、六年の頃だったろうか。友達何人かと、家の庭で遊んでいた。確か、荒木田もいたかもしれない。サッカーボールを親父の車にぶつけて、ドアをへこませてしまったことがあった。その時も、そんな感じで、一緒にとぼけてくれた。結果的には謝ったのだが、その実、真実の全容は、塞せられていた。

 庭にあった、古い槇や、グラスライトの板など、不用品と解っていたものを的にして、サッカーボールで遊んでいた時のことだった。これは、後で捨てることになっていたから、使ってもいい、と母から、許可をとっていた。その色々なものにぶち当てて、壊れる面白さに、エスカレートした。一度だけ、車に当ててみようか、と、誰かが言った。壊れるわけがない。車なんだから・・・。悪魔の囁きと興味で、最初は、わざとその周辺でパスをしていたが、いつしか、車がゴールになってしまった、というわけだ。シュートは流れで、その時、調子に乗った。俺がやった。

 「つい、うっかり」「間違えて」という、わざとやったんじゃない、ということになっていた。でも、気持ちが悪かった。結果は同じだ。「そんな所で、そんなことをしたら、そうなることが解らない齢でもないだろう」と、親父に釘を刺されたのだが。

 今、兄貴と明海さんには、泰彦という、今年、小学生になったばかりの子、つまりは、俺の甥っ子に当たる子どもがいる。兄夫婦は、敷地内の離れに暮しているが、基本、食事などは、家族一緒だ。兄の鷹彦は、東国義勇軍の長箕沢駐屯地に勤務で、通いと泊まりを週の半分、繰り返している。今日は、明けで帰ってくる日らしかった。そんな日は、兄貴の好きなおかずが、夕飯の食卓に並んだ。時々、泰彦のお守りをする。身体を使って、遊んでやると、凄く喜んだ。「あんちゃん」と懐いてくれている。

 風呂に入りながら、優しい義理の姉は、軍人の兄と結婚し、子どもがいて、良かったと思った。でも、彼女は・・・どうなのだろうか?あのヤクザが好きなのだろうが、金を無心され、渡している。あの別れ際が、寂しそうだった。傘を持って、旅館に迎えに行くとか・・・いや、彼女もあそこで働いている。だったら、その足で仕事に・・・ってことだろうか?先日の商店街の騒ぎの時、ヤクザが封筒に用意した金の出所は、どこからなんだろうか?いや、流石に、あれは、迷惑料なのだから、旅館から出ているものだろう・・・

 そんなことを、ずっと考えながら、湯船に浸かっていたら、よくあったまった。風呂から上がると、脱衣所まで、夕飯を設える、良い匂いがしてきた。腹が鳴った。

 ・・・羽奈賀に、家に上がってもらえなかったな。こういう田舎の料理も好きだったみたいだから、夕飯ぐらい食べていってもらっても、良かったのにな・・・。

 また、つらつらと、色々と考えが浮かび、部屋着を着ながら、色々、思った。

 今年は、受験の年になる。ここまでの成績は、まずは及第点だったし、二年生の学年末の模試の結果だと、後少し。このまま行けば、まずは、大丈夫だと、担任にも言われた。明日は、東都大の過去問の問題集を買って来よう。勉強とアルバイトを天秤にかける。そんな一年になりそうだ。ひょっとしたら、長箕沢にいるのは、高校までかもしれない。東都のおじさんが、来てもいいと言っていた。東都大に通うなら、居候させてくれるような話を、正月に来た時、していた。ありがたい話だ。

 俺は、幸せなのかもしれない。羽奈賀のこと、あの清乃という女のこと、それと比べると、恵まれているのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 翌日は、土曜日で、昨日の急な雨と打って変わって、よく晴れていた。昨日借りた傘のことが気になった。干さなければと行ってみると、玄関の三和土たたきの傘立ては空だった。庭に出ると、既に、家族の傘がいくつか、干してあった。あの傘も、それに混じっていた。

「おはよう、雅弥くん」
「あ、おはようございます。すいません」
「ああ、一応、これ、皆の分と一緒にね」

 傘のこと、と解っているかのように、明海さんは、答えてくれた。

「友達に借りたんで」
「そう」
「すぐ、乾くかな、これ?」
「まあ、そうねえ、午後には、もうすっかりじゃない?」

 明海さんは、笑って、そう言った。

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 午後まで、昨日、濡れかかったカメラと、三脚の手入れをして過ごした。庭に出ると、家族のものを含めて、傘は、まだ、朝のまま、干してあった。触ると渇いていた。

 こういうものは、早めに返した方がいいな。借りたままというのは、気持ちが悪い。どうせ、用事がある。そのように思い、商店街に向かうことにした。問題集を買いに、本屋に向かう。ひょっとしたら、いつものように、偶然、会えるかもしれない・・・。

 ゆっくりと歩いた。なんとなく、店の中を眺めながら。精肉店を覗くと、陳列棚に食品を並べている、おばさんと目があった。会釈をして、通りすぎる。少し先のスーパーは、ちょっと、覗いただけでは、中までは見えない。その実、用はないが、中に入った。

 なんとなく、周囲を見る。通路毎に、陳列棚を縫っていく。あ、似ているな、と思ったら、違った。でも、見たことのある女性だ。先日、酔っ払いに絡まれていた人だと解った。

「何か、お探しですか?」

 ここの店員さんだったのか。

「ああ、大丈夫です」

 スーパーを出て、そのまま、商店街を進み、本屋に向かった。俺はすぐ、問題集のある棚に向かった。

「あーっ、辻君?」

 女子の声だった。ヤバい。そう思った時には遅かった。例の荒木田実紅だった。

「問題集、買いに来たんだ?」
「ああ、うん」
「実紅も」
「そうか・・・」

 東都大学の過去問の問題集は、すぐ、見つかり、棚から取り出せた。

「じゃ」
「あ、待って、あの、お願いが・・・」
「え?」
「取れないの。高いとこにあるから。あの、桜耀女子大の問題集、それと同じシリーズの」
「あ、これ?」
「そう・・・ありがとう」

 ん?まだ、受験一年先じゃないのか?チラリと見ると、嬉しそうな顔で、こちらを見てきた。

「実紅ー、レコード屋、行くんでしょ?次」
「あっ」

 実紅の友達らしい女子が二人、その後ろからやってきた。

「えー、辻君だ」

 こそこそと、何か言いあっている。

「いたねえ、実紅、会えちゃった」
「うん・・・」

 なんか、面倒な感じだ。

「先、行くね」

 その子たちは、なにやら、慌てたように、斜向かいのレコード屋に向かっていった。俺は、気にせずに、会計に向かった。案の定、後をついてくる。まあ、それを買うなら、そうだろう。

「それ、東都大学の法学部の、でしょ?」
「・・・え、ああ」
「弁護士になるんだよね?辻君」
「・・・なれるか、解んないけど」
「なれるよ、頭いいし、だって、学年トップだもんね」

 なんか、人前で、知った顔で、余計なことを言ったな。

 会計に行くと、本屋の主人が、眉を動かして、俺たちを見比べるようにして言った。

「二人で勉強するのかい?」

 実紅は、どっちともつかないリアクションで、小首を傾げて、主人にニッコリとした。

 ああ、これ、羽奈賀が見たら、すかさず、罵倒しそうな感じだ。―――「あざとい」とか「だから、女は嫌いだ」と。

「はい、1,200円。お嬢さんの方は、1,050円ね」

 なんで、一緒に会計するんだ?俺の方が、先に並んでいたのに。まあ、いいけど。慌てて、店を出ようとして、本屋の主人に呼び止められた。

「ちょっと、君、傘の忘れ物だよ」
「あ、すみません」

 危ない所だった。だが、結局、実紅と一緒に、本屋を出る嵌めになった。レコード屋の店頭から、実紅の友達二人の女子がこちらを覗いている。同じ店の袋を持って、並んでいる恰好になっている。誰が見ても、一緒に買い物をしている体にみえる。ヤバい。

「なんで、傘?今日は、晴れてるのに?」

 実紅が、尋ねてきた。

「ああ、これ、借りたから、返しに行くから」
「そうなんだ・・・」
「じゃ・・・」

 行こうとした、その時、後ろの方から、よく知った声がした。

「あらあ、デート?」

 振り返ると、当の清乃だった。タイミングが悪すぎる。あんなに、探した時には、どこにもいなかったのに、なんで、今、現れるんだろうか。

「うふふ、可愛い彼女ねえ、お似合いだわ」
「あ、いや、・・・ああ、そうだ、これ、傘」
「まあ、ご丁寧に」
「ありがとうございました。助かりました」

 俺は、傘を渡すと、その場を去ろうとした。

「あれ、彼女、置いてっちゃうの?」
「ああ、いや、そんなんじゃなくて」
「そうなの?」

 清乃は、実紅を見た。実紅はまた、どっちつかずのリアクションをして見せた。

「ごめんね、邪魔したみたいで」

 いよいよ、面倒臭くなってきた。

「今日は、予定があるっていうから、私も友達と待ち合わせしてるので」
「そうなんだ、ふーん」
「辻君、またね」

 実紅は、そう言うと、レコード屋の友達の所に走っていった。俺は、そのまま、歩き出した。清乃は、少し、追ってきた。

「いいの?可哀想じゃない、ちょっと、冷たいよ」
「え?・・・違うんで」
「でも、あの子は、君のこと、好きみたい」
「でも、違うんで」
「ふーん、そうなの・・・傘、早かったね。綺麗にしてくれて、ありがとう。じゃあね」

 清乃は、また、ニッコリして、手を振った。手を振る姿を見たのは、これで、三回目だった。俺は、軽く会釈をして、商店街を後にした。
                             ~つづく~


みとぎやの小説・連載中 「傘」~守護の熱 第七話
お読み頂き、ありがとうございます。
羽奈賀君が、去った後、雅弥の周囲は、少しずつ、動いてきているような・・・?
この一つ前のお話は、こちらから。未読の方は是非、ご一読お勧めです。


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