再会
Hola Viernes.
昨日は6年ぶりに友人と再会した。
彼が帰国したというのもあったし、私も国外にいたし。コロナで会えないということもあった。
彼は帰国後、両親の工場を継いで、今では2人の子どもを持つお父さん。
最近副業もはじめたらしい。
最初は「日本語が…」と、かなり緊張していたようだったけど、結局4時間ぐらい話は尽きなかった。
過去のこと、今のこと、これからのこと。
「なにも考えずに生きるとしたら、どこに住みたい?」
彼は言った。
「ぼくは、日本に帰りたい。
ここにいると、家族、仕事、政府、友人との関係を考えなければならない。
お金の心配もある。
でも日本では、ぼくしかいない。それがいい。」
なんとなく言いたいことがわかる。
私は正直、人との繋がりは広くない。
バスで隣同士になった人、レストランで相席になった名前も年齢もわからない人とたわいもない話をする。
そういうのが、好きだ。
よく考えたら、日本ではできないかもしれない。それは日本人同士だから?
そういうやりとりが日本ではできないから私はここが好きじゃないのか?
人は、所属感というものがいくつかあることで、自分の存在や価値を知り、安心感を得て生きていくことができるらしい。
この所属感というものが時々めんどうになる。そういうことか?
「結婚したい?」
「うーん。どうだろう。」
「自分のしたいことをしたい?」
「うん。今は自分が大事。」
「ぼくも40歳とかに結婚でもいい。
子どもが生まれれば、結婚するまでずっと子どものために生きることになる。
ぼくはそうなった。
小学校も中学校もここでは家族がお金を出す。
息子には、将来結婚した時の家を買ってやらなければならない。
それがこの国で、この国の人の考え。
自分の人生はない。」
真剣な顔で話していたけど、すぐにこう言った。
「でも何も考えない!」
彼のよくいう言葉だ。
将来のこと、考えなくてはいけないけど、考えてもしょうがないことだってある。
彼のいいところは、分かった上で、気持ちを切り替えられるところなのかもしれない。
ちょうど私も同じ気持ちだった。
日本にいると、将来のことを考えざるを得なくなる。
それはある意味”逃げ”なのかもしれないけど。
もう一人の友人も大学院を卒業して、今月帰国後、上海で働くそうだ。
過去のあの時のあの時間はもう戻ってこない。みんな変わっていく。
いつでも変わらずそこにあるというのは難しいことなのかもしれない。
昨日の時間も、もう戻ってはこないけど、
いつかまたこうして集まって、”じいさんになったな”と笑いたい。
楽しみだな。
Adios Viernes.