あんかけラーメン、至福の味
どうにも季節の変わり目なせいか体調が芳しくなく、記事の投稿に時間が空いてしまった。
料理をしていなかったという事はない。魚焼きグリルで抹茶のケーキを焼き、牛肉の赤ワイン煮込みをほおばり、作り置きしておいたイワシのツミレでツミレ汁を作った。ディスカウントスーパーで売られていたカニの缶詰の味に悶絶して目を白黒させたり、クロスグリ(カシス)のジャムでロシアンティーとしゃれ込もうとしてジャム選びに失敗した結果、下の付け根がしびれるほどに甘いロシアンティーが出来たりと、まぁそれなりに冒険はしていた…が。
どうにも、ネタが浮かばなかった。
正直に言えばトントン拍子に投稿出来ていた自分におごり高ぶっていたし、ネタもいずれ沸くだろうと思っていたから、いよいよという時の焦りはすさまじい物だった。
そういう時は初心に戻るに限る。このノートを作るとき、私は「レシピと日々の美味しい物徒然を書く」と決めていた。しかしながらただ美味しかった経験を書けばいいというものではない。自分の心に響いた、本当に美味しいと感じた物の話を書く、そう決めていた。
さて、話は二日ほど前にさかのぼる。体調の悪化に伴い、室内のほぼ全ての食糧を食べつくした私は途方に暮れていた。
冷蔵庫には小松菜と人参、そしてラーメンの生麺。各種調味料にニンニク。
肉はない。いや、肉がない。
この状況で何か、すさんだ心が優しくなるようなものをつくらないといけない。そういう使命感があった。
すさんだ時の私のご飯はたいていとろみがついた物になる。とろみはいい。あんかけをあつあつで食べれば心が優しくなる。とろもちで冷たいミルクわらび餅もまた心が優しくなる。とろとろのポタージュスープもまた、緊張と不安で固くなった心をほぐしてくれる。
…しかしながら家の食材として鎮座しているのは小松菜に人参にラーメンの麺で、ポタージュに使うような牛乳はあいにくと切れていた。
話は変わるが、世の中に中華野菜炒めのコツや好みは色々とあるが、私個人は炒める油にラードを使う事、そして味付けにオイスターソースを使う事を好む。
小松菜を2株ほど洗い、2センチほどの長さに切り、にんじん小さめ一本は皮を剥いて4等分してからさらに縦半分(切り口が半円になる)にして薄切りに切った。
ラードを熱し、ニンジン、それから小松菜の茎の部分をいれてよく炒める。そこそこ火が通ったら葉の部分を入れ、そこに2カップの水と中華スープの素を少々、それから醤油を少しと胡椒を1振り加えて、火を少し強め、油も水もジャガジャガとにぎやかに泡立つようにして炒めながら煮るように火を通す。
野菜全体に火が通ったら最後にオイスターソースと加えて味を調え、ちょうどいい味になるようにしたら大さじ1杯の片栗粉と大さじ3杯の水を加えた水溶き片栗粉をじゃじゃっと加えてかき混ぜて、これであんかけは完成だ。
どこか入れ物にとりのけておいたら次はラーメンだ。ごく普通に麺を茹でスープにお湯を加えて醤油ラーメン(塩でもよいが味噌はどうだろう?味があわないかもしれない)をつくったら、その上に先ほどのあんかけを乗せて完成だ。この時、好みでおろししょうがを乗せてもいい。
そのままの素ラーメンでは少し寂しくて心に木枯らしが吹くような時、身も心も温まる事、間違いなし。
スープをすすり、はふふふと熱さに息を吐きながら野菜の滋味とこってりとろりとしたあんかけの濃厚な味に舌鼓を打っていると、遠くから灯油販売車の音楽が聞こえてくる。
冬なんですねぇ、と心中でひとりごちるのもまたオツなものだ。