「パリからの手紙」解説

はじめに

この文章は、2012年頃に書いた短編の書簡体二次小説「パリからの手紙」の解説です。この解説は、2016年の末に、一部のファン向けに限って書いたものです。今回、noteにアップするにあたり、少々訂正を加えていますが、ほぼ当時のままのものとなっています。「パリからの手紙」をまだ読まれていない方は、まずそちらをご覧になることをお勧めします。

本文

冒頭で、ロミオとビアンカが長い間離れ離れに暮らしていることをビアンカの言葉で表現しました。この手紙は、ロミオがまだ師範学校か大学に入る前の時点、現代日本で言えば中学生か高校生ぐらいの時の話だと考えています。ロミオとビアンカがこの手紙の前に、最後に直接会ったのは、恐らく変声期前のことだと勝手に妄想していますが、この時点でロミオはビアンカと最後に会った時に比べて、声も変わっていれば、身長も伸びていたのだと思います。ロミオは奨学金を貰って学費に充て、ホテルのボーイとして住み込みで働きながら生活していた、というのが私の勝手な設定です(カセラ教授の支援もあったか もしれませんが)。


二人は少ない時間を使って文通をしあっていたと思うのですが、それだけでは声も姿も分からず、ただお互いの文字の整い具合や使っている語彙の増加、それに書かれている内容から成長を感じ取るぐらいだったのだと思われます。それだけに、ビアンカは成長したロミオに思いを馳せていたに違いないと思ったのでした。


手紙の日付については、あまり深い意味はないのですが、イタリアの大学は7月から9月まで夏休みになるという情報をどこからか得て、その時間を利用して、カセラ教授はビアンカを連れて遠路はるばる国際的な学会に参加したのだろう、などと考えたのです。


またホテルの名前ですが、実在するホテルの名前ではありません(あったとしても関係はありません・笑)。ただ、「オーステルリッツ」または「オステルリッツ」という地名はあります。これをドイツ語読みすると「アウステルリッツ」になりますが、これはナポレオン戦争中の有名な戦いが行われた地の名前で、恐らくこの戦いに於けるナポレオン軍の戦勝を記念してパリ市内の地名に「オーステルリッツ」の名が用いられたもののようです。いかにもありそうな名前を意識して名づけました。


ロミオは鈍感で、でも純粋で、しかも子供っぽいところがあるので(大人になってもそういうところが残ったのではないかと思います)、ビアンカにもアンジェレッタにも無邪気に(そして女心を解さずに・笑)、それぞれのことを手紙に書いていたのだと思います。アンジェレッタの場合はビアンカの存在をごく自然に受け止めたでしょう。一方でビアンカの場合は、ロミオの無神経ぶりに呆れイラッとした、と考えがちになりますが、私はそうではなく、ビアンカもロミオのそういうところを理解していたと思うので、そんなところをもひっくるめて、ロミオが好きになっていたのだと考えたいのです。


もっと言えば、ビアンカは、ロミオが無邪気にアンジェレッタのことについて書けるだけのことを細大漏らさず手紙に書いて寄越すので、アンジェレッタと自分に二股をかけているという意識はなかったでしょうし(仮にロミオが二股をかけている意識があるのであれば、隠しごとになるはずなので、わざわざ手紙に書いたりはしない、とビアンカは考えただろうと思います)、むしろビアンカは、そんなロミオを微笑ましく、好ましく思い、アンジェレッタを心で労るロミオの純粋な優しさを文面から感じたことでしょう。


そうして文通を続けるうちに、やがてビアンカの心の中に、ロミオを惹きつけてやまない優しいアンジェレッタに直接会ってみたいという気持ちが芽生えたのだと思います。それは決して、恋敵の顔を一度見ておいてやろう、などという気持ちではありません。ただ純粋に強い関心が働いたのだと思うのです。


それから、二人が初めて挨拶を交わした場面ですが、いかがだったでしょうか? ビアンカが緊張して堅苦しい挨拶をしたのを、アンジェレッタは「アンジェレッタって呼んで。ロミオにもそう呼ばれているんだもの」とクスクス笑うことで、ビアンカの笑いを誘い、彼女の緊張を解きますが、そのビアンカが赤くなる、というところにちょっとこだわってみました。


「ビアンカ」という名前は、「白色」の女性形ですが、これはビアンカの白い顔を象徴的に表していると思うのです(原作小説では確か「生まれた時、真っ白だったから」、という理由でビアンカと名付けられたことになっていたかと思います)。でもその分、感情が昂った時などにはハッキリと目立っ て赤くなるのだと思われるのですよね。つまり、この白と赤の対比を意識してみた訳なのですが、それはそのすぐ後のロミオの手紙の一節に更に明瞭な形をとって表れます。「ビアンカはショートカットの綺麗な金髪に、青い瞳を持っていて、上品な白い顔をしているんだ。でもほんの時たまその白い頬が赤くなってね。そういう所も含めてとてもかわいいんだ……」、という一節ですね。この手紙を読んだ時、ビアンカは一層赤面したことだと思うのですよ(これを見せつけたアンジェレッタもアンジェレッタですが、決して悪意があったのではないでしょう。単にピッタリな文章だと思ったのでしょうね)。


ビアンカが果たしてこんなにこっぱずかしいロミオの手紙の一節をわざわざ引用して、当のロミオ本人に宛てて書くかな(?)とツッコミが入るかもしれませんが、ビアンカとしては恥ずかしい反面、内心嬉しかったのかもしれません。或いは、ロミオに自分が味わったのと同じくらい恥ずかしい思いをさせたかった、というちょっと意地悪な気持ちがあったこともあながち否定できないでしょうけれども、その辺りは読み手の受け取り方にお任せしたいところです。


他にも色々解説したり補足したり言い訳したりしなければいけない部分はいくつもあると思いますが、ひとつだけどうしても書いておきたいのは、二人の「友情の誓い」についてです。


ビアンカがピアノで音楽を奏で、アンジェレッタが絵を描いて、友情を誓う、という設定は、実はそれらがそれぞれの得意分野だったからという理由だけではありません。「ビアンカが『動』で、アンジェレッタが『静』」であるということとも関係しているのです。


音楽と絵という芸術の二つのジャンルをよく考えると、音楽の演奏は(採譜や、録音でもしない限り)一瞬ですが、絵は(適切に保存すれば)いつまでも変わらない、ということはお分かりいただけると思います。つまり、ビアンカのピアノ演奏は「動」の象徴であり、アンジェレッタの絵は「静」の象徴なのです。ビアンカは音楽を通じてアンジェレッタに、一瞬一瞬この場限りのありったけの誠意を込めて、時間によって移りゆき、消えていく音楽(動)を演奏したのであり(一期一会の精神に近いと言えるかもしれません)、アンジェレッタはビアンカに、こちらもこの場限りのありったけの誠意を込めて、時間によって左右されることのない、いつまでも永く残る絵 (静)を描いたのだと思うのです(永遠不滅の精神というものに近いと言えるかもしれません。なお、劣化するというツッコミは無しで・笑)。ここでは、音楽は、はかないからこそ味わえる特別な瞬間を共有することであり、絵は、その特別な時間を保存することなのです。


ただ、同じ「誠意」でも、ビアンカの「誠意」は、一音一音にベストを尽くしたという意味での「誠意」なのに対し(またいつか会えると思っていたのだと思います)、アンジェレッタのそれは、一筆一筆にベストを尽くしたという意味の他に、もう会うことがかなわないかもしれないから悔いの残らないように、という意味の「誠意」も込められているのです。


そして、アンジェレッタがビアンカの絵を描いたのには、これまた深い意味があります(って、自分でいうのもなんですが・汗笑)。
アンジェレッタがスケッチを一枚ビアンカのものとして渡したのは、言うまでもなく、彼女との友好の証とするためです。また、別の一枚を自分自身で取って置くことを望んだのは、小説本文でも触れていますが、友情の記念のためです。
アンジェレッタは友人になってくれたビアンカの面影をいつでも見ることができるように、一枚を手元に残したのです。
それは彼女にとってささやかな「わがまま」でもありました。
残りの一枚はロミオに渡すためにビアンカに託されましたが、これはロミオのことをビアンカに託すという、アンジェレッタ一流の象徴的な意味を持った意思の表現であり、表明なのです。アンジェレッタは、ビアンカの手によってビアンカ自身が描かれた絵がロミオに届けられることを計算して、声なきメッセージを込めたのでした。
その上で、アンジェレッタは自分の描いた同じビアンカの絵を三人で分かち合うことで、疑似的に絆を持った気持ちになっていた、というのが私の妄想です(^^;

おわりに

以上が、拙作「パリからの手紙」を読んで下さった方へ向けて書きました解説になります。いかがでしたでしょうか?
アニメ本編中で出会うことのなかったビアンカとアンジェレッタの関係を描いた「パリからの手紙」でしたが、この解説を読まれた方に楽しんで頂けたならば、私としてもこれ以上の喜びはありません。できたら今後もロミ空二次創作小説を書き続けたいと思います(既に途中まで書いたものもあります)。
最後まで読んで頂き、有り難うございました!

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