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関ケ原に行った〜2022夏
そうだ。関ケ原に行こう。
自分は「いつか関ケ原古戦場に行きたい」と思っていたのを、突如として思い出した。
なぜ関ケ原に行きたいか、と思うようになったかというと。
自分は「戦国無双」が大好きだからである。
これまで様々なゲームをしてきたが、今やシリーズを通して長年プレイしているゲームは「戦国無双」のみ。
むしろ無双シリーズしかできない。
コントローラーのクセが、無双から抜けられない。他のゲームをやったときに、つい無双操作になってしまい、もう全然進まない。
「戦国無双」と出会ってからかれこれ10年以上にもなり、声優さんのイベントも行ったなぁ、と思い入れがある。
「戦国無双5」を毎日のようにプレイし、かつてのナンバリングを懐かしく思っていたころだった。
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「そうだよ、大人になったら関ケ原に行きたいって思ってたじゃん」
日本の歴史に名を遺す武将たちが戦い、死地とした場所に行って、そこの景色を見たいと思った。
桶狭間の戦い、川中島の戦い、姉川、長篠、小谷城、本能寺に山崎…。
「戦国無双」でさまざまなステージを駆け抜けてきたが、やはり決戦といえば天下分け目の関ヶ原である。
何度、あの敵の数と徳川の砲弾をくぐり抜けながら戦ってきただろうか…。
このオタクは聖地巡礼するタイプなのだった。
決断は早かった。関ケ原行き決行である。
〇1日目:名古屋空港~名古屋駅へ
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着いて早々問題発生。飛行機酔いである。
グロッキーな状態に加え耳鳴りもあり、体調がかなり最悪。
当日は猛暑真っ盛りの夏。熱中症にはなりたくないと、空港の待合室で1時間ほど体力の回復を図っていた。
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待合室のテレビで甲子園を眺めながら、飴を舐める。
舌がもつれて、あやうく飴がのどに詰まりかけそうになった。
笑うしかなかった。
体力ゲージが赤からかろうじて黄緑くらいに回復。
ようやくバスに乗って名古屋駅へ向かう。
運転手さん「どちらまで?」
わい「名古屋駅です」
運転手さん「あぁ、『めいえき』ね」
聞きなれない、地元ならではの呼び名を耳にして、あぁ、遠くに来たんだなぁと実感。
〇いざゆかん 関ケ原へ
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JR名古屋駅から東海道本線に乗り、約1時間弱。
たどり着いたのは、かの決戦の地・関ケ原である――。
ホームに降り立った時、前方に見える山に、白いのぼり旗が見えた。
関ケ原の戦いにて陣地となった場所を、再現しているのである。
「すごい、本当に関ケ原にきたんだ!!!!」と大興奮。
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出発前、関ヶ原町を調べていて思ったのが、関ヶ原町周辺を紹介するホームページの充実さに驚いた。
現地の観光施設・飲食店の紹介、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍の陣地などを巡るモデルコースなど、事前情報がたくさんある。
とにかく観光のサポートが手厚い!
特に、モデルコースを参照しながら、ルートや場所が調べたのだが、これがすごーく助かった。
街全体で関ヶ原町を盛り上げよう!という熱い思いを感じる。
今回は「関ケ原合戦 決戦コース」を元にコースを決定。
往復、徒歩でおおよそ1時間ほどの行程。
サイクリングの貸し出しもあるので、フィールドワークの幅が広がるし、体力的にもすごく助かる。
自分も借りようと思っていたのだが、返却時間まで間もなく、ということもあり今回は徒歩に。
ぶっ倒れねぇよな…と自分の体力を不安に感じる…。
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駅を出てから決戦の地へ赴く道中には、関ケ原の戦いに参戦した武将たちの家紋の幟があり、ひーひーと興奮しながら夏の夕暮れ時の関ケ原を行く。
位置的には東軍陣地から、西軍陣地へと攻めていく具合になる…。
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〇石田三成陣地・笹尾山へ
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背後には西軍大将・石田三成陣地の笹尾山が見える
目の間に広がるのは青々と育つ稲。そして景色を取り囲む深緑の山々。
自分のとこの田舎かと思った。
のんびりと広がる田畑と、夏の緑の山々に囲まれ、のどかな場所だ。
だが、数百年前に武士達が衝突し、大勢の者がこの地に倒れた。
そして石田三成の腹心・島左近の血で赤い彼岸花が咲くといった凄絶な光景が、この地で繰り広げられていのだ…と思うと、エモーショナルの嵐が吹き荒れる…。
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ちなみに「戦国無双」で好きなキャラは竹中半兵衛です。
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かわいい(「戦国無双4」)
飄々とした態度で、主君へ歯に衣着せぬ物言いをする。
まるで少年のように振舞い、「寝て暮らせる世」を理想とする天才軍師。
御覧の通りかわいい。かわいいのに、物語終盤は病床に臥し、儚く去っていくというエモいことをしてくれる。
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『太閤記』や『常山紀談』などによると、体が弱く見た目は痩身で女性のようであり(「その容貌、婦人の如し」と記録にはある)、出陣するときも静かに馬に乗っているだけだったという。
これを基にして、このような中性的なデザインになったであろう半兵衛ちゃん。男性武将の中で一番小柄な体躯。
とにかくかわいい。かわいいのに儚い。要素がエモいしかない。
だが、石田三成も好きなのである。
「クズ共が」「目障りなのだよ」と傲慢で人を見下しまくる彼。三成の才を見出した秀吉には恩義を感じ、忠を尽くす。
秀吉亡き後も、豊臣家を守るために、関ケ原の戦いへ向かっていく。
頑固で意地っ張りな性格もあり、かつての同志が離れていく中でも、「豊臣の世を守りたい」という真っ直ぐな思いは変わらない。
そんな三成の心意気に惹かれ、島左近・大谷吉継は彼のために命を散らせていく。
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彼の生きざまと、彼の不器用さをゲームで散々見てきたため、いざ現地に来ると情緒がおかしくなってくるのであった。
汗だくになりながら時折うめき声をあげる自分は、さぞ変人だっただろう。
〇古戦場決戦地~左近陣地
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1600年9月15日午前、関ケ原の戦いは西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の裏切りによって状況は一変します。これによって、一挙に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北します。そしてこの決戦地は、東軍諸隊が三成の首級を狙って、最大級の激戦が繰り広げられた場所といわれています。
ここの決戦地から、三成の陣地「笹尾山」はもう目の前なのである。
どれほど三成が追い込まれていたのか、ということが分かり、この場所でしばし放心状態となる。
追い詰められた三成は笹尾山を後にし、後方の伊吹山へと撤退する。
味方が次々と倒れ、目前まで迫ってきた敵を目の当たりにしたときは、どんな思いだったのだろう…。
呆然としながら歩を進め、笹尾山を目指す。
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さこー-------------ん!!!!!!
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張り巡らされた馬防柵は、当時を再現して建てられたもので、地元のみなさんの「関ケ原愛」を感じておりました。ありがとうございます。
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自分は三成名乗り時の、「きれいな顔してやるじゃないですか」って返す左近がほんとに大好きで……。
いや、それいま戦場で言う???? みたいな……。
からかいもあるんだろうけど、わざわざ「綺麗な顔」って褒めるあたり左近……お前……となる。
左近の「お褒め」の言葉に、三成は「フン」と鼻を鳴らしていることでしょう。左近にはデレる三成。この佐和山主従、推せます。
島左近の陣地のすぐ背後には、大将・石田三成の陣地が。
殿を守るようにして敷かれた陣に、西軍エモーショナルはすでに嵐。
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この山道、なかなかの急斜面。
木々が鬱蒼としていたこともあり、「三成が御首、頂戴!!」と西軍を攻めていく兵の気分である。
もしくは「伝令! 小早川秀秋、寝返り!!!」みたいな。
完全に「戦国無双」フリーク。
〇「霧の向こうにあるはずの、義の勝利に…俺を導いてくれ」
合戦当日の朝は、関ケ原に霧がかかっていたと言われている。
大きな合戦を目前に、今か今かと両者にらみ合いの中、焦燥感に駆られていただろうと妄想…。
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飛び交う怒号と狼煙が上がる過去。遠くに新幹線が走る現代。
この場所で西軍と東軍の激突を見下ろしていた三成と、同じ光景を見れました。
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高見台?のところには関ケ原の陣地マップがある。
それを見ながら、動画で「戦国無双」の関ケ原のステージを見たのだが、「え、史実とゲームの陣地一緒じゃん…」となり、感動していた…。
三成のすぐそばに布陣する島左近。
小早川秀秋ににらみを利かせる大谷吉継の陣地。
島津軍選択時の、決戦地の激戦具合などなど…。
「ゲームで関ケ原を体験している」ということを目の当たりにし、改めてコーエーテクモゲームスに感謝をするのだった…。
夏空にはためく白いのぼりを見上げつつ、滝のように流れる汗を拭いながら笹尾山を後にする。
笹尾山近辺には「関ケ原笹尾山交流館」という施設があるのだが、この時すでに閉館間際だったため断念…。また伺いたい。
〇岐阜関ケ原古戦場記念館へ
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「申し上げます!!! 閉館まで残り30分!!!!」
「なにぃぃぃぃぃ!!!!????」
こんな感じでしたので、ほんとにパパ―――っと回って終わってしましました…。
島津豊久が、叔父・島津義弘を退却させるためにとった「捨てがまり」戦法で、東軍を足止めをして討ち死にした…という展示に、
「うわぁぁぁぁせんむそで見たやつ……」と悶絶しながら足早にフロアを回っていた…。
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館内には刀や幟旗の重量を体験できるコーナーがあり、「采配」を見つけた自分は大谷吉継に思いを馳せていた……。
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関ケ原の合戦状況のシュミレーターの映像もあり、兵が続々と倒れ、戦況が不利になるばかりの西軍の展開には胸が痛んだ…。
5階には360°ガラス張りの展望室があり、関ケ原の景色を一望できる。
不覚にも、写真を撮り忘れた…。
夏の夕暮れ時。西軍と東軍の陣地を眺め、400年前の日本の歴史を体感し、思いを馳せてきました。
「岐阜関ケ原古戦場記念館」には、関ケ原の合戦までの経緯と、その規模を紹介する床面スクリーンの「グランド・ビジョン」や、音・風・振動などを用いて合戦の臨場感を体験できるシアターなどがある。
まさに「関ケ原の戦い」を余すことなく伝える、体験型の施設。
「グラウンド・ビジョン」とシアターは事前予約必須。
またの機会にぜひ伺いたい。
◇
こうして、1日目の関ケ原探索は終了。
分かったことは、
・回りたいところがたくさんあるので、1日では足りない
・範囲が広いのでとにかく体力が必要(夏場はなかなかキツイ)
・戦国武将所縁の地に、武将の名前を知っているだけでも感慨深くなる
・ただの「戦国無双」フリークといえど、実在の場所に行くととても楽しい
やはり、史実を辿りながらその場所へ赴き、さらに理解度を深め、戦った武将に思いを馳せる…というのがとても楽しかった。
大谷吉継の陣地や島津軍の陣地にも行きたかったし、家康の本陣も行き損ね
たので、またリベンジをしたい…。
ここにも行きたかった…無念…。
観光地において「巡るところがたくさんある=1日中居られる」というのは、「滞在時間が長いことで満足感が得られる」と思い、けっこう重要だなと思った。
あとは「関ケ原古戦場跡」として、その場所を再現・管理・保管していること、きちんと場所の説明をしていることで、「文化振興」への貢献、「観光」としての満足度を上げていると思った。
いろいろ心残りがある中、関ケ原駅へ戻り、宿を取っている滋賀県・米原市へと移動。
次回は「三成タクシー」にて回った滋賀県・米原~彦根のレポです。