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【続編】 彼がわたしの家族に初めて会ったぁ--- の巻


前投稿からの続きです。
前回本編はこちらでございます👇


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実家での一連のことを彼に報告した。
父から放たれた言葉を聞かされた彼は、喜びも落胆もなければ「最初は、そらそーだよー」と、むしろただフラットに理解してた模様。
「ゆっくり、ゆっくりでいいよ。」


わたしの誕生日に合わせて日本にやってくる
ことを決めた彼だが、この事があってからす
でに半年近くが経っていた。

あとは、🇯🇵到着を待つだけとなったほんの数
日前になって実家に連絡を取ることにした。

彼がまもなく東京に遊びに来ることを知らせ
たのだ。もし会ってもらえるなら実家までや
って来るとのこと、仮に今回会いたくなくても、それはそれでも全然構わない、無理にと
は言わないから(またの機会に) と。彼からの
伝言である。

残念ながら、いい返事は返って来なかった。


彼は、「いいよ、いいよ。しょうがないよ」
またしても全く氣にしていなかった。そのままを受け入れてくれた。

ところが、だ。
この拒否返答の翌日に電話がかかってきた。
せっかく遠くから🇯🇵来るんだしねぇ.... 
前日に、あんだけ速攻で難色を示したはずが、なんと寸前で 連れておいで、に変わったのだ。

双六のコマは進んだ。折しも『1回やすむ』を見事に回避することができたってわけだ。




実家の最寄りの駅まで迎えに来てくれたのは
弟だった。わたしの家族の中で一番最初に対面したわけである。わずか5分10分の車中。男同士だし、若いし、年も近いし、緊張感も
まるでなし。まぁ、こんなもんだろうとわた
し自身の感想も特になし。 チーン

実家に到着した。
両親、祖父母の年配衆四人が茶の間に揃っていた。日本語を話さない彼に代わって、全てわたしが話すことになる。改めて彼の履歴と今現在の状況を、それと手短かに我々二人の経緯を、そしてこれからは結婚へ向けての未知なる手続きを進めていきたい、と伝えた。

そして、わたしの拙い通訳を介しながら質疑
応答を含む、たいして賑やかでもない歓談の
幕が開いたのだった。笑

しばらくしてから、横に座っていた彼の指が
ツンツンと、わたしの太腿を刺した。結婚を
許してもらえるのかどうかを聞くよう促され
た。えーーーー!? それわたしが聞くんかい!?
そんな大事なことは自分で聞かんかい?!
あぁ、せめてそのセリフだけでも日本語で
丸暗記させとくんだったなと思ってみたとこ
ろで、時すでに遅し。ってかそれが今回出て
くるとは、実は わたしも予想だにしていなか
った。「ゆっくり、ゆっくりでいいよ」と言っ
た彼の言葉を忠実に守っていたのは、どうや
ら わたしだったのかもしれない。
が、ここは致し方あるまい。通訳者は訳し
た。この時 ''さすがに英語は喋れなくても、
YES/NO なりOK/Not OKなり、それくらいは
言えるだろうよ~" と思いながら一緒に返答を待った。だが、なんにも発されなかった🤐


滞在時間はわずか1,2時間だったろうか、
『彼とわたしの家族との ご 対~~面~~』は
滞りなく終了し、お開きとなった。
ありがたいのは終始 和やかだったってこと。
何はともあれ、無事にこの日の目的は達成されたのであった。はるばるやって来た甲斐があったってもんだ。

しかしながら、とんぼ帰りである。東京と
実家を往復する時間のほうがよっぽど長い。
帰路についたところで、わたしは聞いた。
「そういやーさー、どうなんだろうねぇ。許してくれんのかなぁ」
彼は答えた「もちろん ! だって、握手🤝して
くれたじゃん ! 」

あーーーーーーーーーーーーーーー💡💡💡
した、した!  そうだ、 してた、してた!
言われて初めてその1シーンを思い出した。

通訳者が訳した 問いに返事はなかったが
父は手を差し出していたのだ。
そうか、そうか、そうだーーー、 あれは娘を
よろしくの握手だったのか。笑笑笑。
そんな意味があるってことすらすっかり忘れていた。

知らぬ間に 双六のコマは『3つすすむ』が出
ていたのだった。




あとになって知ったことだが、
わたしが父に結婚の意思表示をした後、どうやらそのことはわりと早いうち母に伝わったようだ。それは、メンタルがどうのこうのと心配していたわたしをよそに、逆に母は『その話』と『父の動揺』ふたつを どっしりと構えて受け取ってくれていたのだ。(何の泪かはわからんが)めそめそしたのは父の方でこっそりボソッと教えてくれた。女性は、我が母は、強かった。なんか嬉しかった。



最後まで読んでくださり
どうもありがとうございました。


(1829)

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