世界でひとつの着せ替え人形作家、中嶋です❤︎40歳からの挑戦物語❤︎part1
文章を書くって難しい。
何事も、最初から上手くできるわけはありませんね。
経験しながら成長する
これが40歳からの私のスタイルなので、
失敗しながらも前に進みたいと思いまーす!
現在人形作家として開業してから4年目になります。
忘れもしない2019年12月
脳天からカミナリどーーーん!!
みたいな…
まるで天啓のような出来事がありました。
と言っても、私は別にスピリチュアル的な力はなく、それまでの私はとっても現実的なタイプだったんですけど、
なんだか、タイミングがドンピシャだったんです。
ノリで行った九星気学の先生に、
「あなたは40歳からの人ね!今すぐ何かを始めなさい!!」
と言われたんです。
言われたからはじめよっかな〜と思ったんではなくて、
私、たぶん何かを始めたいタイミングだったんです。
何かって、なにか?
分からないけど、たぶん、
自分の為に生きること。
自分の為に生きていなかったの?
…生きていませんでした。
だけど、もう40歳だから、半分諦めようとしてたんです。今世では無理なんだろうと…。
だから、40歳からの人だ、と言われたのが嬉し過ぎて、
私、やってもいいんですか!?!?
今からでもいいんですかーーー???
涙がどばーーーーーーー!!!笑
わたし、そんなにやりたかったんだなあ…
と、自分で自分の気持ちを知りました。
自分のことなのに、知らなかったんです。
自分が心の奥底で切実に願っていたこと。
それにたまたま気付かされたのか、
自分で気付くように、気付ける方向へ動いていったのか、
とにかく、その日から、
自分の為に生きる。
私はものつくりで、何か本気でやってみる。
というのが、私の人生のテーマになりました。
ちなみに、何がドンピシャのタイミングだったのかというと、
それまでの私の人生のテーマに、
ちょっとだけ終止符打てるような出来事があり、
ああ〜、よかったなあ。
頑張ったな私。
そう思えたタイミングから、3日後の天啓でした笑
それまで何の為に生きていたのか。
26歳までは、母の為に生きていました。
母に笑っていて欲しくて、
私は自分の感情迷子になってしまっていたんだけど、
主人の力も借りながら、なんとか自分で学び、自分を育て直し、
楽に生きられるようになったな、と思えたのが、
40歳手前。
長い長い学び期間でした。
もうひとつは、
子供の為に生きていました。
2万人に1人の先天性の難病を持って生まれてきた我が子。
この子をなんとか大きくする事に、全力を尽くしていました。
何ができないわけでは無いし、本人も言われなければ病気だと気付かない感じですが、
大きくなるまでは細やかなケアが必要で、
病気のせいで〇〇できなかった、という感覚を身につけさせたくなくて、
努力すれば、何でも叶うと思って欲しくて、
とにかく健康なごはんを食べさせ、よく遊ばせ、よく寝させ、しっかり本気目にスポーツを習わせてサポートしてきました。
何度も救急車に乗ったし、
震えるほど怖かったこともあったし、
泣きながら薬入りの苦いミルクを飲ませたこともありました。
でも、2019年の12月、
東京で連携治療して頂いてる担当の先生に、
「安定しましたね。これで安心ですよ。頑張りましたね。」
そう言われたんです。
10年前の私に聞かせてあげたら、
涙ドバドバで、声を上げて泣いて喜ぶと思います。
それほど、必死の10年間でした。
その3日後、
あなたの人生は40歳から。
今まで苦労してきたなら、大正解。
ここからあなたの人生がはじまる。
そう言われたんです。
もうそんなの、
やるしかないじゃないですか。
気学の先生に言われた通りに、
家に帰ったらすぐに、
みんなに言葉にして宣言してまわりました。
「何するかはまだ分からないんだけど、
私、なんかやります!」
笑
「う、うん!…??」
みんなに困った顔されながらのスタート。
まだ人形作るって、決めていません笑
part2に続く
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