離島に移住した私が、鹿児島でインフルエンサーをしている理由
どうも、
鹿児島の美少女インフルエンサーふかまるです。(黙れる?)
私は、一昨年(2023年)の3月に東京の会社が倒産、
失業保険をもらいながら6月に鹿児島の硫黄島に移住し、
そこで観光業を営む「株式会社国境離島革命団」に入社しました。(社名怪しいけど反社じゃないです。厨二病なだけですすみません。)
しかし、その後2024年の2月に、株式会社国境離島革命団(以後、革命団)の社員として
鹿児島市内のグルメ情報を発信するInstagram、TikTokを始め、
2024年の終わりにはフォロワー4.5万人になり、ありがたいことに、
鹿児島のインフルエンサーとして認知されるようになりました。
まだまだ発展途上の底辺インフルエンサーですが、
そんな私がなぜ会社員なのにインフルエンサーをしているのか、
そもそも硫黄島では何をしていたのか、
なぜ硫黄島ではなく市内から発信をするのか、
よく聞かれるので、ここで書いてみることにしました。
そうだ、インフルエンサーになろう。SNS運用を始めたきっかけ
私がSNSを始めたきっかけは、「やらなきゃ死ぬ」という状況に陥ったからでした。笑
離島で生きていく道を模索する、サウナ屋さん期
もともと、SNSを始める2024年の2月まで何をしていたのかというと
人口130人の離島、硫黄島でサウナ屋さんをしていました。
サウナ屋さんって何やねん、と思うでしょう。
私も思います。笑
当時私は、「離島でサウナを活用した観光事業を始める」という友人に誘われ、2023年の6月に友人が建てた会社、革命団に参画。
文字通り「サウナ屋さん」として観光客を島に誘致し、
テントサウナを活用した、島の魅力発信活動に取り組んでいました。
(実際は島に来た若者と楽しくサウナしてただけですすみません。)
▼当時の黒歴史アカウント
しかし、人口130人の島です。
インフラは整いきってるとはいえず、もちろんビジネスは難航します。(わかりきっていた事実)
ただ、もともとIT企業に勤めていた我々は、初めからサウナ事業で大きな利益を作るつもりはなく
革命団のもう一本の柱として、オンラインでも利益が出せるSNSの事業を作ろうと考えていました。
しかし、様々な角度からSNSで利益を出そうとトライするも、うまくいかず…
半年間なかずとばずの島ライフを過ごします。(本音を言うと、島暮らし楽しすぎて手抜いてましたすみません。)
そこから冬になり、観光業はオフシーズンに入りました。
島に発着するフェリーは欠航する日が多くなり(冬は海がシケるため欠航しがち)
客足は途絶え、硫黄島のサウナ屋さんは窮地に立たされます。
まさに「やらなきゃ死ぬ」という局面に立ち、ようやく我々は本気でSNSに向き合い始めました。
島内にかぎらず、市内でも仕事を求めて出稼ぎ期
今まで、「世界でもここにしかない景色が広がる神秘の島、硫黄島」という魅力満点の島を起点に
SNSで事業を建てられないかと模索していました。
しかし、半年間トライした結果、島内からのアプローチのみでは限界があると感じ
一度、他の場所からも利益を作り出すことにしました。
まずは、硫黄島にとらわれず
鹿児島全土を対象に、1人1アカウントずつSNSのアカウントを立ち上げてみよう、
そこで運用の知見を貯めて、さまざまな他の分野に事業を拡大しよう。
そこから生まれたのが「ふかまるぼっち飯」です。
もともとお酒が大好きだった私。
硫黄島から鹿児島市内に行く度、1人で様々な居酒屋を開拓していた私は
今こそ私の酒好きとしての真価が問われていると思いました。(誰も問うてない。)
SNSで発信を続けるためには、
自分が心から好きなことでないと続かない。
半年間失敗し続け、このことを痛感していた我々は
各々の好きなジャンルで発信を始めます。
すると、ありがたいことにふかまるは
初めて1ヶ月でフォロワーが1000、2000と増え
そこから毎月3000以上フォロワーが増え、
初めて10ヶ月で総フォロワー4.5万人をかかえるメディアに育ちました。
鹿児島のインフルエンサーとして島に貢献したい期
他にも、硫黄島に移住した革命団の団員の中には、
島の内側からのSNS発信に成功し、今も島の観光事業を牽引してくれているメンバーもいます。
そしてそして、フォロワーが増えたふかまるぼっち飯では
硫黄島の魅力発信のためのイベント出演、特産品の魅力発信や、
島の求人募集のための動画制作などを通じて、
島の活性化のお手伝いをさせてもらえるようになりました。
▼三島村 焼酎イベント登壇
▼三島村 特産品「いおう椿」動画制作
▼三島村 子育て広場「椿園」求人募集動画制作
島に滞在できる時間は減ってしまったけれど、
ふかまるというメディアが育つ中で、1年前の自分にはできなかったような島への貢献ができているのではないかな、と思います。
それは、移住した当初、思い描いていた形とはちがうかもしれない。
それでも、私の中で硫黄島がかけがえのない場所であることは確かだし、
これからも島という場所は私の中で、自分が最も人間らしく暮らせる、一つの大切な拠点であることは間違いないのです。
▼元シティガールの私が離島生活で得たもの
SNSで鹿児島に革命を起こす期
そのほかにも、2024年革命団は
などに取り組み、1年前は想像もできなかったような形で、
多方面で鹿児島に価値貢献ができるようになりました。
それでも、まだまだ我々は伸び代だらけで、
うまくいかなかったり、思ったような成果が出せず歯がゆい思いをすることも多々あります。
ただ一つ言えることは、鹿児島でSNSを中心に何かが変わり始めています。
そして、我々はまさに革命団としてその変革の中心にいるという実感があります。
そんなこんなで、2025年もふかまるは
株式会社国境離島革命団の一員として、
硫黄島から鹿児島一、そして九州一のインフルエンサーを目指していきます。
これからも好きなことで鹿児島を盛り上げていくぞお〜!