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「香花を懐かしみ、紫を邀める 」第13話

 第1話
《 第12話


 騒がしい雀たちを小窓に近づけ息を吹きかけた。

 その吐息は冬へと移りゆく一入の寂しさを覗かせるようで、物寂しい声色は三羽の雀の心に悲痛を潜ませる。身が切れるほどの悲しさに触れてしまった雀たちは、囃し立てる口を閉ざし、どう接したらいいものかと戸惑いを浮かべた。

「そのまま閻魔様のところへ行ってしまうかもしれないぞ」

 業を煮やした一羽が飛びかかるようにアコラスに向かう。

「行けよ。お前たちのことを気にしなくて済むのなら、その方が清々する」

 それを軽くいなして背を向けた。

 三羽は互いに顔を見せ合いつまらなそうに唇を尖らせる。
川の中に飛び込んで掬い上げてくれた恩は忘れていない。なにより、心身を蝕むような部屋は薄気味悪く、アコラスの身体は二日と持たずに病に倒れてしまうかのように思われたのだ。

「うまくいくか、わからないからな」

 なるべくアコラスを暖めてやれと、二羽を残して一羽が羽ばたいた。

 翻る翼は雷光を発するがごとく白く輝いた。プランツの向かう都の上空に、巻くような雷雲が立ちこめているせいである。稲光を走らせる天の様相は、まるで不穏な兆しを告げるかのよう。

 湿った風の向こうに降り出す雨音を聞き、雀は急いで窓を潜った。
そこは烏闇である。

 その、闇の色よりも更に濃い千の柱が、鱗のような羽毛の図柄を施して、樹木のように高く貫いていた。正体は柱に住み着く巨大な鳥。羽を引きずる鳥の身体は霞が打ち靡くように波を打つ。ふと振り返れば、埋もれた羽毛の中から、怒りに燃える血走った目とかち合った。

 雀は悲鳴を上げて飛び上がった。玉階に沿って描かれた壁画は激しい飛沫を上げ、怒濤のうなりを轟かせる海流。潮の匂いさえ届きそうなほどの荒々しさには、まるで嵐に巻き込まれたかのような不安を抱かせる。

 迫るような波がしらから逃げ延びて、僅かな隙間へと飛び込んだそこは、運良く、鍵を握るマートルの部屋であった。

 静謐に満ちた室内は弱火に燻べた香の匂いに煙っていた。障子紙には木の芽を兆した木末が漂い、花びらが散るように小さな虫が飛び交っている。まるで春景の一幕を切り取ったかのように麗らかな景色であった。

 綿菅を咥え直し、引っ手繰る隙を狙う。すると、息つく間もなく、唐戸を叩く音が転がり込む。忽ち、従僧の声がペチュンの来訪を告げた。

 ――ペチュンだと?

 雀は驚いて言葉をのんだ。

 中へ、と短く応じてマートルが机に向かう。

「あいつを連れて帰ることができて、あんたにとってはえらい手柄なわけだ」

 入るなり、開口一番に彼は嫌みったらしく言い放った。雀は沈の厨子棚に身を潜めて耳をそば立てる。

「なんのことだ」

 背を向ける彼の色のない返事に、ペチュンは吠える。

「とぼけるつもりかよ。こっちはあいつを見張ってきた。その報酬はあいつの依頼料だけ。それもたったの十年ぽっちの依頼料で。それだけですむはずがないだろ」

 十年前、寺院を脱したアコラスに、法師プランツは激憤に戦慄き、今すぐ連れ戻せと号令をかけた。アコラスを逃したマートルがその行方を知らないはずがない。十年も野放しにできたのは、彼に蠱業を使わせると同時に、ペチュンに見張りをさせてきたからである。

 そのプランツが、ようやく戻ってきたアコラスを再び手放すはずがなかった。

 蠱業の報酬に味をしめたペチュンも、それは同様と思われた。

「仕事に戻るといい」

 少しも靡く様子を見せないマートルは厳格な海蘭寺の僧侶である。たとえ地割れが目前にまで迫っていようと、石のように流れに身を任せ、少しも動じないのではと思わせるほど。ペチュンは奥歯を噛みしめてマートルの僧衣を引き掴む。

「閉じ込めて、何をさせるつもりだ? アコラスがいなけりゃ、寺院の力は地に落ちる。俺が支えてやっていたようなものだろうが。感動の再会でもして、アコラスを説得するのかと思いきや、どういうつもりだよ」

 突き飛ばされた拍子にマートルの衣が乱れた。すると、開けた左胸に雀が気付く。その胸の皮膚はとけ、白い骨の隙間から赤々と燃える心臓が見え隠れしていたのだ。まるでアコラスのその胸のようではないか。

 まさかと、凝らして見ようとする雀の目は、僧衣を整えるマートルの手に阻まれてしまう。

「然るべき人の手に戻ってきただけのこと」

「このままお前たちにくれてやるつもりはないからな」

 怒りにまかせて踵を返し、雀の潜む厨子棚を腹いせに殴りつけて去って行く。その激しさに怯える雀を尻目にかけつつ、マートルは重々しく息を吐きだした。

 彼は柔らかな肌を扱うかのように、机上の袈裟箱に長い指を触れた。その箱は黒漆に銀梅花を散らした豪奢な代物。

「三尸の虫か」

 マートルはなんてことないというように問いかけた。

 雀はどきりとして黙り込む。差し向けたのがアコラスだと知られれば、脱出する機会を失ってしまうのではと雀は焦っていた。

「なぜ、身体の中に戻らない」

 しかし、振り向く彼の眼差しが鋭く雀を捕らえたのに観念し、止めていた息を吐き出す。

「アコラスが俺たちを瓶に封じるからだ。知り合いなら言ってやってくれよ。閻魔様にも報告できない」



第14話 》

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門


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