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昔の自分の”好き”を思い出す
先日書いた昔の”将来の夢”を思い出したという話に引き続き、昔の”好き”を思い出したので書いてみようと思う。
小学校6年生の時、クラスで流行った勝負がある。
それは、誰が一番ノートを綺麗にとれるか、という勝負だ。
当時のことだから、国語とか算数とか社会とか。
毎時間毎時間、鉛筆一本でいかに分かりやすく、ノートが綺麗に纏められるかを勝負するのだ。
判定人は、その勝負に参加していないクラスメイト。たしか、投票制だった。
ノート勝負には、常時4,5人が参加していた。
鉛筆一本、カラーペンを使ってはならないという制約の下、図形や飾りを使って大事なことを纏めてゆく作業は楽しく、退屈な授業時間をわくわくする時間にしてくれた。
頭を使って書くことも楽しかったし、判定人たちに褒められるとなお一層楽しかった。
私は参加者常連で、今思うと、最近のノートタイムの原型がその頃にあったんじゃないかと思う。
もう一つ思い出したことがある。学級新聞製作だ。
確か当時は係の一つとしてあったんじゃなかったか……
もう記憶はあやふやだけれど、書きたいことを洗い出し、構成を考えて、分かりやすく書く。
時に絵や4コマ漫画なんかも添えて。
そういった作業がたまらなく好きだった。
中学校に入ると、時事を纏める新聞作成というのが時々宿題で出たのだけれど、当時沖縄サミットが話題になっており、それを纏めた新聞が校内で金賞をとった。
講評で「とてもわかりやすく纏められており、また、絵を使って表現するなど読んで楽しいものでした」という言葉をもらった時に、自分が伝えたいことがピタリとハマった感じにゾクゾクとしたのを覚えている。
書くことに加えて、自分が知ったことや考えを誰かに共有することが楽しいという感情は、その頃からより強くなったように思う。
今こうしてnoteで文章を書いていることも、動機としては全く同じ。
あんなに好きなことだったのに忘れていたというのも不思議なことだけれど、きっと当たり前すぎて記憶の奥底に沈んでしまったのだろう。
今、毎朝のノートタイムで書くこと&描くことを楽しんでいたり、発信したり、
結局は全て昔の”好き”から続いていること。
好きは巡る。
それではみなさま、本日もスマイリーな1日を。