労働

 7月もあと数分で終わろうとしている。8月がやってくる。

 今のところ夏休みの思い出は全く存在せず、ただ記念祭の準備か寂しさを埋めるために学校へ向かう日々。もはや学校に行かないと落ち着かなくなってきた。一昔前の僕なら絶対考えられない。
 まあ忙しいふりというのは意外と楽しく、それだけで心が満ちていく。体なり指なりを動かさないと自分の存在意義を見失って落ち着かない。社畜の始まりか成れの果てか。

 当初は「最低限の人間性を手に入れる」を目標にして色んな活動に手を出していたが、大体達成したといっていいだろう。同級生と対等に、劣等感はあれどなんとか会話できている。先輩の機嫌をとるのは元からある程度できていたが、今もなんとかやれている。

 でも、この目標自体本当に正しかったのだろうか。僕がやったのはただ愛想よく振舞っただけで、きっと自分の性格を開示することではない。端的に言えば、自分を偽って人に好かれただけではないか。今の空虚な心持ちはこれが原因だろう。
 最初は人と関わるには性格を直さなければならないと思った。でも所詮は人間で、個性は簡単に捨て去ることはできない。個性の時点で黒くドロドロしたものが渦巻いている。最初から人と関わることを諦めるべきだったのかもしれない。
 そうなると言動と心境の不一致によって心が萎んでいく。辛くなる。申し訳なくなる。「言動を変えれば個性も変えれる」は偽。個性は意図的に変えることなどできないのだ。

 もはや記念祭で働くことさえ偽善に見えてくる。実際記念祭は人に好かれるためにやっているのでその通りなのだが。労働をスピリチュアリティに強要する自分と、ありのままの怠惰で傲慢な自分であるべきだという自分が喧嘩して、昨日も今日もこれからも死にたくなります。

 そんな悩みを吹き飛ばすため、8月も体を動かしましょう!
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?