何を考えていたのかな

 数日前、かなり重めの倦怠感でしばらく動けなくなることが数回あった。以前も数十秒突っ伏すようなことはあったが、10分以上うなされるのは初めてかもしれない。この原因は明白で、記念祭と向き合う中で自分がいかに未熟か突き付けられているからだ。

 クラス企画の方は段々と進んできているし、実行委員はサボってもなんとかなる。音楽祭は頑張る。当日までになんとか間に合わせられる圏内ではあるのだが、全てについて孤立していく錯覚に陥る。
 いや、コミュニケーションは取っているし、周りもありがたいことに自分に良く接してもらっている。結局自分の内面的な空虚さでしかない。自分が他人を信頼できていないだけだ。

 棋道部を辞めてまで身につけたかったコミュ力って、実際はこんなに寂しいものだったのだろうか? それとも、僕はまだ真のコミュ力を身に着けていなくって、殻を破れば人と楽しく接することができるのか?
 どちらにしても、他人を信頼するのは僕にはまだ難しそうだ。数年単位で克服しなければならないかもしれないが、いっそのこと治さなくてもいいとも思っている。表面上でコミュニケーションできれば十分だと思っている自分がいる。

 ここ数日は記念祭について考えていなかった。無意識的に、まるで心の傷に触れないように。
 結果としてこの二日ほど鬱が襲ってくることはなかった。家族と麻雀して、本を読んで、YouTube見て。現実がゴミカスキショキショなので、空想の世界に逃げる。麻雀は河底で8000オール獲って脳汁が出た。家族の温もりとはいえ、これも立派な現実逃避だ。

 怠惰に過ごしているうちに、鬱だった感覚を忘れていってしまう。鬱に対して抗えずただ倒れていた自分を馬鹿にしたくなる。喉元過ぎればただの思い出話になってしまった。
 もう一度、あるいはそれ以上、鬱がやってくる。少なくとも記念祭が終わるまでには。大丈夫、自分なら勝てる。そう思えるのも今のうちだ。もしくは、そう思い続けることが鬱自体の襲来を遅らせる心持ちなのかもしれない。


 

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