変わっても変わらなくても
今日は朝から発狂寸前だった。昨日の練習で疲れがたまっている中、朝飯を食らう。咀嚼すらままならない口と消化を全力で拒否する胃が立ちはばかる。仮病などという高等なテクニックは全く使えないので、決死の勢いで小麦を口に放り込む。はちみつをかけたら多少胃が順応してくれて、なんとか完食できた。
なぜ病んでるのか考えてみると、やはり対人関係が原因だと思い当たる。最近はありがたいことに色んな人に接してもらえているし、僕もそがれ相応の言葉や行動が出来るようになってきた。無愛想な人間から少し変わることできたのかもしれない。確実に「社会に出てコミュ力不足で死ぬ未来を変える」という目標に近づいてきている。それでも、何でだろうか僕は満足してくれない。
元の目的は沢山の人と関わって、友人関係を広げていきたいというものだった。それはコミュ力改善のためだけでなく、今の自分が満足するという純粋な感情もあったはずだ。じゃあ今はどうだ。友人関係は広がっていて、特に意識せずとも友人と他愛の無い会話をする関係にはなった。しかし、コミュニケーションで満足するという目指すべき結果の1つが完全に失せてしまった。ただ他人に取り繕うだけの交流に飽きてしまった。
これは、僕が悪い。いろんな人(と言っても一般的には少ない方だが)におもねるような、相槌を打つだけのようなコミュニケーションを続け、そんな関係で固定されてしまった。友人Aは僕を好きでいてくれているかもしれないが、僕は偽った自分で相手に接している。そりゃあ楽しい会話など出来る訳が無い。
僕は大した芯を持たない人間なので、相手に合わせるコミュニケーションが得意だ。twitterならネットミームを使うし、暗い人には沢山話を振るし、向こうから話してくるときは「へえ」「うん」を多用する。そんなテンプレート作成がコミュ力と言うのであれば、僕は成長できたのかもしれない。でも、僕の評価は「媚びへつらうだけの腹黒な人間」となってしまう。学校やめよう。
結局本当の自分を開示することがこの閉塞感を打破する唯一の方法だ。しかし、そもそも本当の自分って何か忘れてしまう。体が支配されていく。
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