僕はオタクじゃない

 僕のように中途半端を生きる人間にとって、言語とはしばしば邪魔になる存在だ。なぜならば、言葉には「定義に当てはまる」「定義に当てはまらない」の2つしか存在しないからだ。
 僕はアニメが好きだが、今日までに見たアニメは数えるほどしかない。ガンダム4~5作、少女終末旅行、がっこうぐらし、ぼっちざろっく、キルミーベイベー、推しの子、スパイファミリー。多分これで全部。そもそも春アニメとか3話切りとかという概念自体あまり理解しておらず、易々とオタクを名乗ると返り討ちに遭いそう。
 そういう意味で、僕はオタクではない。でもアニメについて何も知らない人からしたら、11作というのはかなり多い部類に入るのではないか。結局世間は僕を「オタク」と呼ぶ。アニメ好きサイドからはオタクじゃないと門円払いされ、世の中はオタクだと僕を追い出す。そうして僕は路頭に迷っていく。
 これが「もっとアニメを知ってオタクを名乗れるようになりたい!」という素敵な人ならば良いのだが、僕はこのくらいの淡い接し方を続けたい。しかしそれは許されず、二極化の続く現代社会は僕に選択を迫ってくる。
 こういう時に僕は大抵オタクじゃないふりをする。ナニモシリマセンワカリマセン、そう言えば僕を非オタクとして迎え入れてくれる。偏見から逃れられる。「ちょっとオタク」はオタク判定になるので、もはや知らないふりしか逃げ場はないのだ。



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