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書きたいことがなくなったらnoteを引退した方がいいのか?note継続のコツ?
note全体の継続率を鑑みますと、その数字は1%と極端に低いそうです。note継続を断念した人たちの事情は人それぞれでしょうが、今回は書きたいことがなくなった人たちに焦点を絞って話を取り上げます。
このテーマは初めてだと思いますので、最後までご覧いただければ幸いです。
最初に 書きたいことがなくなるなんてことはあるのか?
これは人によってはあるかもしれません。
私の場合は書きたいことがなくなるなんてことはないです。いつもその日の午前中に脳内に降臨したテーマ(笑)で記事を書くことにしています。
書きたいことを書いているのか、書くべきことを書いているのかは不明ですが、これに関する回答の一部は以下の大見出しとその内容に含まれていると思います。
頭の体操(老化防止)だと思って強引にでも何かを捻りだした方がいいのではなかろうか?
私が老後に危惧している病気の1つは認知症です。
私には脳内資産がたくさんありますので、それらを活用できない人生は「死」を意味しています。何歳になっても頭を使い続けることができれば、その期間の私は自分の人生を楽しめます。
ですから、今現在書くテーマでネタ切れを感じている人は、頭の体操(老化防止)だと思って強引にでも記事タイトルを捻りだした方がいいかもしれません。
もちろん、これは中高年に対するアドバイスとなりますが、最近の若者の一部は頭の老化が早いなどと言う情報を小耳に挟みましたので、年齢に関わらず脳細胞を捻り続けることは大切だと思います。
微力ながら社会貢献だと思って何かを書き続けることもいいのではなかろうか?
自分の仕事や私生活が充実していて、それらが世の中に貢献している活動であればその人は正しい道を進んでいるのではないでしょうか。
しかし、その実感が弱い人たちは、noteにおける記事投稿が社会貢献になると信じて何かを書き続けてもいいかもしれません。
面白いことに、自分にとっては常識的なことでも、それが他人にとっては神の啓示や天啓になるような情報である場合もあります。
世の中は広いです。そして、役に立たない人は1人もいません。自分の過去の積み重ねや学びを信じて「何かを書き続けること」は素敵で素晴らしいことだと思います。
自分試し(修行)だと思って無理にでも書き続けてもいいかもしれない💦
物事の継続は難しいです。私も何度もnoteを挫折しそうになりました。
しかし、今は多くの皆様のおかげでnoteの毎日投稿を継続できています。そして、多少は社会貢献できているようです。
ですが、私のように良縁と幸運がなくてnote継続を断念する人もきっと多いはずです。
もしnote継続が不可能になった時は、一休みするか、修行(自分試し)だと思って無理にでも継続することもありかもしれません。
ただし、会社生活や日常生活までもが修行の場である場合、絶対に一休みした方がいいですよ💛自分を追い込んで次のステップを目指すことは素晴らしい心掛けですが、いつもいつもそのようなことを行っていますと精神が病んでしまいます。誰にでも逃げ場所や避難する時間帯が必要だと思います。
<余談>自分の正直な心情を記事タイトルで書くと思わむアドバイスやチップなどがあるかもしれない
困った時は記事タイトルにその時の率直な心情を書いておくといいかもしれません。
もし誰かの目に留まれば、適切なアドバイスを受けたりチップをいただいたすることもあるかもしれません。
なお、記事を書いている頃に他のnoteクリエイターとの交流が多い人ほど、そのような有難い支援を受ける傾向があるようです。
日記だと思って積み重ねることはその人の知的財産や思い出になるのではなかろうか?
日記の効果は私たちが思っている以上に大きいようです。
noteの世界にも目先の利益だけ考えて記事投稿をしている人がいるのですが、人には目に見えない資産があるものです。
例えば、noteを書き続けることによる健康効果がそれです。
これに関しては過去記事でも書いたことがあるのですが、先ほど前回とは異なる用語でネット検索したところ、以下のような内容が出て来ました。
目に見えない資産にご興味ご関心のある皆さんは、小見出しの<参考>日記の効果・効用をご覧になって下さい。
<参考>日記の効果・効用
私の場合は、自己認識の向上とストレス解消が大きかったです。
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1円にもならない無料記事に意味と価値がないと思ってnote継続を断念することは寂しすぎるよね?
人間として優秀かつ有能かつ愛のある人は、人を残すことを重視します。
しかし、人として何かが欠落している人は、お金やその他の資産だけを残そうとします。
例の私の知人である100億長者や数十億単位の金持ちたちの多くは、その点では完全に失敗しています。つまり、優秀かつ有能かつ愛のある後輩や子孫を残せなかったのです。
その人たちを見ていると、彼ら彼女らがいずれ衰退し没落することは目に見えています。すでにその兆候が出ていますので、もしかしたら私が生きている間に一文無しになるかもしれません。
人間として優秀かつ有能かつ愛のある人とその後輩・子孫たちは、何度でもやり直しができます。しかし、頭と中身が空っぽですと、そのやり直しができないのです。
お金や資産だけに目が向く人たちは、晩年になってから、特に人生の最期を迎えた時にその寂しい人生を想像できないのかもしれません。
未来の自分や読者への伝言や遺言、ラブレターだと思って書けば意外と楽しく書き続けられるものだよね?
今の私が過去記事を読み返すことはめったにありません。しかし、10年後や20年後、あるいは50年後の私は、それらを読み返しているかもしれません。
私は基本的に、100年後や500年後、あるいは1,000年後に読まれる「令和版徒然草(笑笑笑)」を目指しています。ですから、どこかの誰か、そして未来の日本語を駆使する人たちを対象に記事を書いているわけです。
その人たちが私の記事を読んだ時にどのような感想を持つのか、いつもワクワクしながら記事を書いています。
もちろん、未来の読者たちの意見や感想、心情は不明ですが、それでいいと思っています。
最後に 書きたいことがなくなったらnoteを引退した方がいいのか?
noteのような無料ブログならば、何度でもやり直しができます。
もし仮に過去に諸事情でnoteをやめたりアカウントを削除したりした人たちも、また書きたくなったら再度取り組めばいいと思います。
書きたいことがなくなるとしたら、それはその人の充電量の問題かもしれません。電池の充電が切れればその家電の使用継続は不可能です。
ですから、もしnoteを書き続けたいのならば、私のように絶えず充電しながら記事を書くことがお勧めの方法かもしれません。
<今日の3行日記>中国リスク
中国の経済金融リスクには15年ぐらい前から興味関心があって継続的に調べていたのですが、昨今の中国のそれらを考慮しますと中国リスクは今後ますます大きくなると思われます。例えば、中国の不動産価格や失業率の高さなどを見ますと、日本より遥かにそして桁違いに悪い状況です。それらが日本や世界の景気に影響することは間違いないので、要警戒した方がいいのではないでしょうか。
昨日の記事
noteへの提案や要望は人それぞれでしょう。記事タイトルを変えて皆さんも書いてみてはいかがでしょうか。
「パンダ 引退」のテーマでイラストをお願いします。
今日のパンダイラストは中高年パンダの哀愁が漂っていて面白いですね。ただ、右下にある子パンダらしき遺影(?)が気になるところです💦💦💦
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今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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