金次郎
「え!マジじゃん!」
授業の準備の為、少し早めに訪れた昼休みの教室で浮かんだその声に、耳が傾いた。
「座ってんじゃん金次郎」
「うん、なんか違和感だよな。」
斜め後ろから聞こえた二人の会話に、
少し前に目にしたニュースが浮かんだ。
「え?なんで座ってんの?」
「歩きながら本読むのは危ないて意見が挙がったらしいよ。」
「えぇ………」
「時代だよな。」
私もそう思った。
「え?いや、金次郎てさ、働きながらそれでも勉学に励んだていうその心意気を買われて銅像になったんじゃないの?」
「うん、確か。」
「学習方法関係ないじゃん!」
「いや、関係ないことはないんじゃない?何事も方法て大事だし。
それに金次郎て大体小学校にあるから、子供がマネしたら、とかもあるんじゃない?」
「そこは、物事には論点があるてことを教えないと。金次郎から学ぶことは何かってことをさ……」
「じゃあ、お前が先生になって教えてやれよ。」
「………、俺大学行けるかもあやしいわ」
「金次郎から学べよ。」
「いや、歩きながら勉強、あぶないから……」
「論点どうした!」
何だかコントのようになっていたけれど、
私も、彼らと同じ違和感を感じていた。
薪を背負った彼から学べることがあると、思っていたから……
教師になって数十年、
歳を重ねるごとに、生徒との距離は離れていった。
勿論、寄り添う努力はしてきたつもりだが、
世代の差というものは存在する。
生徒の言動が理解できなかったり、私の言動が理解されなかったり。
年々、授業中の雑談も減っていった。
時代とともに、自分も、周りも変わっていく。
寂しい変化も、違和感のある変化も、沢山見てきた。
二宮金次郎像の変化もその1つだ。
そして、彼の変化によって学んだことがある。
私は今、実感している。
分かり合えることが少なくとも、0では無いということを。
親子以上に歳の離れた生徒と、同じ違和感を感じていた。
世代が違っても、分かり合える部分はある。
今日は少し、雑談をしてみようか。