煩悩親切
ある日のバイト帰り。
夜11時頃だろうか、いつも通る道に、夜間ボタン式の信号がある。
と言っても、俺の進行方向側は常に青なので、俺がボタンを押すことはない。
この日も、いつも通り青であることの確認だけして、3、4歩で渡りきれてしまう横断歩道を渡り、何事もなく帰るはずだった。
横断歩道に差し掛かる少し前、ふと、右斜め前に視線が向いた。
車が信号待ちをしていた。
(あー、ボタン式気づいてないんだな……)
ここの信号は車両用と歩行者用に分かれていない。その為、ボタンを押さなくてはいけない側にいると、車の場合、一度車から降りてボタンを押すという手間が生じる。
おまけにたいして明るくない田舎道だ。信号下の夜間ボタン式の表記に気づかないこともあるだろう。
(あの人はいつ渡れるかなぁ。)
そんな他人事全開で、俺はいつも通り、青信号の横断歩道を渡りきった。
十数歩進んだあたりでふと思った。
(サラッとボタン押してったらカッコいいかな…)
煩悩全開だった。
(いや、でももう通り過ぎちゃったしな……)
カッコいいと面倒くさいの狭間で心が揺れる。
(…………………………!)
引き返した。
俺は、カッコいいを選択した。
十数歩を面倒くさがったうえ、これから起こそうとしている行動に、相手を思いやる気持ちが1ミリも込められていないことを踏まえると、自分の本質にカッコいいが含まれていないことは明白だ。
それでも、形だけでも、カッコいいをやってみたかった。
ボタンまで戻り、サラッと感を演出する為、車の方は見ないようにしてボタンを押し、すぐに歩きだした。
車の運転手は、俺がボタンを押したことに気づいていないだろう。
でもそれでいい。それがいいのだ。
誰にも気付かれずにする親切が最上のカッコいいなのだから。
背後から車のエンジン音が聞こえ、頬が緩んだ。
なんとも締まりのない顔になっていただろう。
こういう所に本質が出る。
ただボタンを押しただけだ。
それも自分の為だけに。
それでも、
俺の行動により、あの車の運転手の一手間が省けたのも事実だ。
だから、
顔の締りは保てなかったけど、
あの時の俺の後ろ姿は、
ちょっとカッコよかったと思う。