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「Y高校を辞めて、K高校にします」

皆さん、こんにちは。
ご無沙汰してます。
2ヶ月ぶりですね。
毎回、1500字を越える長文になるため、皆様には、恐れ入ります。
今回は、主に、中3の進路選択の話です。

それでは、いきましょう!

 今回のタイトルにある一言は、
中学三年の時、年明けてすぐの始業式が終わり、帰宅後、担任から連絡がきた。

 「あなたは、先願で、淡路のY高校と鳥取のK高校、どちらを受験しますか?」
その質問に、私は、「Y高校を受験します。」と答えた。

その答えが、嬉しかったのか、
担任は、すぐ母親の携帯に連絡!
張り切って、「Y高校を受験するそうです」と担任は、喜びながら話したという。

ところが、その数分、数時間後、
私は、親に何の承諾もなく、
中学校にメールで、
「Y高校を辞めて、K高校にします。」と書き、送信した。

その翌日のこと、担任が、
「昨日、メールを見た。もし、K高校が不合格だった場合、どうするんだ?」と聞かれ、
私は、首をかしげ、何も言わなかった。

 元々、鳥取の公立高校の願書や高校のパンフレットを取り寄せていた2学期。

進路の関係上、3学期から、転校して、学校生活を送るところもあるため、担任も、鳥取県教育委員会に連絡したが、
「3学期から、転校しなくても良い」ことがわかった。

 父親は、2学期の終業式の後、中学校に出向き、担任と話をしてきたという。
 その際、当時の校長と小中高校の同級生であることを校長の教え子でもある担任に話したという。
「日頃から、見ており、公立高校では、ついていけないと思います。私立では、ついていけると思いますが。」
担任は、父親に、そう告げたという。

 その時の表情も、落胆に変わっていた。
 その母親は、中2の時から、
「淡路でも、レベルの高い高校を目標にしなさい。」と言われており、
 その頃は、書店で販売していた公立高校の問題集に励んでいた時期でもあった。

最初、Y高校を選んだ為、K高校の願書は、破棄したものと勝手に想像していたが、
担任は、その後、教卓前で、私に、K高校の願書を差し出した。
書き方を教えてもらい、願書を書き終え、郵送で送った。

そののち、父親から、何の相談もなく、勝手に決めた罰として、しっぺ返しをもらった。

1月下旬、受験日当日は、大雪が降っていた。それまで、勉強してきたことを頭にいれ、学校へと向かった。

そして、体育館で受付を済ませ、受験票を持ち、ドキドキしながら、教室へ向かう。
試験は、順調に終わり、面接では、
中学校の先生や母親と練習した通りに行った。

 「私の母親は、倉吉出身で、お婆さんの自宅から通う」と志望動機やその他の内容は、入学当初から、話題になっていた感じだった。

試験終了後、母親と母方の祖母が、揃って迎えに来ていた。
 今、覚えていることは、その日の夜、母親の姉夫婦も、家に来ていたこと。

 合格発表は、2月14日。バレンタインデーだ。この日は、妹の誕生日でも、あった。

その合格発表の4日間の2月10日は、Y高校の受験日で、私は、学校に残り、他の生徒と一緒に、補習学習をしてと詳しく述べるが、帰宅した。

(先程、少しフライングしたが、)
 そして、合格発表当日。
 朝、学校へ行くと、教室の自分の机の上に、じょうろが置いてあり、私は、「いじめかな?」と思い、じょうろを棚の上に置いた。

 そして、担任に呼ばれ、教室の後ろへ行く。「結果は、どうやったと思う?」と言われた。

 私は、又、首をかしげ、何も言わずにいると、担任は、急に、笑いだし、「合格しとった!受かっとった!良かったの!」と言われた。

 その後、続けて、「合格しっとったから、机の上に、じょうろ置いてたんや!花の水やりお願い」と教室内に置かれてる花に水をやった。

 その日の昼休み、母親に連絡したところ、お婆さんからも、朝、連絡があり、「合格している」と言いはなったという。

春からは、母方の祖母の家で住みながら、高校生活を送ることを考えると楽しみが増しつつ、入学式を迎えた。

次回は、高校生編を予定しております。

今回も誤字脱字があるかもしれませんが、よろしくお願い致します。

今回も、長くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。



















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