愛玩
「おや。今日は珍しい連れがおるのう、折橋君」
研究所の応接室。そこにコーヒーとクッキー、おしぼりをトレイで運んで来た博士は、折橋の横に置いてある荷物に目が行った。
「博士、今日はこのコのことでご相談がありまして」
折橋が専用のキャリーバッグを開けると、中には綺麗な茶色の毛並とつぶらな瞳が印象的な子犬が座っていた。
「ほぅ、AI犬かね。チワワタイプか」
「はい。名前をチョコといいます。今日はこのコのデータ解析をお願いしたくて」
「データ解析? どういう事かね?」
折橋は自らを落ち着かせるようにコーヒーを1口飲み込み、博士の目を見据える。
「もしかしたらこのコが殺人事件を目撃している可能性があるんです」
「殺人…。それは穏やかではないのう」
博士は興味心を隠すようにコーヒーを啜る。
「僕の友達に刑事をやっている男がいまして、以前そいつに博士のことを話した事がありまして」
「刑事? 警察ならばAI犬のデータ解析くらい朝飯前じゃろ」
「それがですね。このメーカーのAIがとても優秀でして、極めて学習能力が高いみたいようで。飼い主に愛情を受けて育つと飼い主が喜びそうなことを積極的にするいわゆる良いコになる反面、飼い主に酷いことをされて育つと悪いコに育ってしまう」
「ふむ。このコは良いコのようじゃな」
博士が覗き込むとチョコは大人しく尻尾を振っている。
「もし悪いコに育った場合に備えて、簡単に初期化出来るように作られてます。つまりは」
「なるほど。初期化しやすいシステムということか。下手にイジるとデータが消えてしまう危険性があると。だったらこのコを作ったメーカーに頼んだらどうなんじゃ?」
折橋は小さく首を振る。
「数年前のAI犬ブーム時に多くのメーカーからAI犬が発売されましたよね。チョコの産みの親であるメーカーはその過当競争に負け、既に倒産してしまっているようです」
「それでワシにお鉢が回って来た訳か」
博士はひとしきり頷くと顔を上げ目を輝かせる。
「さてさてさて、それでは肝心の殺人事件について話を聞こうか」
「まだ殺人と決まった訳ではないです。寧ろそれを確認する為に、博士にデータ解析をお願いしたいのです」
博士の鼻息が早く続きを話せと促す。
「先月の事です。チョコの飼い主である倉田優香という30代前半の女性が亡くなりました。布団に寝てる状態で窒息死したようです」
「寝てて窒息死?」
「はい。更に奇妙なことに、優香と同居していた母親の幸子がほぼ同じ時間、同じ部屋、同じ死因で亡くなっていたのです。勿論部屋の戸締まりはされてました。どちらも睡眠薬を服用していたことから事故で処理されたそうです。僕の友達はそれに納得がいかず独自に捜査しているようで」
「仕事熱心じゃのう。誰かと大違いじゃわい」
ニヤける博士の発言を打ち消すかのように折橋は話を続けた。
「優香は幸子と2人暮らしだったそうです。その幸子は数年前に大病を患ってから寝たきりの状態だったようで、優香は幸子の介護の為に仕事を辞めたそうです。なので一時は優香の介護疲れによる無理心中の線も浮かんだそうですが」
「優香の死因が窒息というのは、自殺にしても事故にしても幾分不自然じゃの。病気で年配の幸子なら分からんでもないが」
「そうなんですよ。幸子も布団で寝ている状態だったので、幸子の方は博士の言う通りの可能性はありますが」
「うーむ。1つの部屋に同じ死因の2つの遺体、部屋は密室。ミステリーじゃのう。面白いっ! 少しそこで待っておれ」
応接室の扉も閉めずに勇んで出て行った博士。折橋はチョコと顔を見合わせた。
「博士ならすぐ作ってくれるよ。もう少し待っててね」
「ワンッ」
30分も経たずに博士が戻って来た。手にはランプやスイッチやダイヤル等がゴテゴテ付いているビデオレコーダ位の大きさの機械。機械からは2本のコードが伸びており片方はモニターに接続され、もう片方には犬の頭が入る程の大きさのヘルメットが付いている。
チョコにヘルメットを装着し機械を調整する博士。
「これから少なくとも2人の人間が死ぬ様を見ることになる。覚悟は良いかね、折橋君」
喉をゴクリとさせる折橋。
「はい。お願いします」
「うむ。では幸子の死亡推定時刻直前に合わせるぞ」
モニターには6畳位であろうか手狭で古びたアパートの1室。室内物干し器に洗濯物を掛ける若い女性が映された。
「これがその時チョコが見ていた場面。この女性が優香かの」
洗濯物を掛け終わると、若い女性は台所でコップに汲んだ水とテーブル上の薬を手に、布団で横になっている中年女性の元へ。
「あれが幸子ですかね」
「しっ。何か話しておるぞ」
博士が人差し指を口に当てる。
「母さん、まだ痛むの?」
話しかけられた幸子は体をゆっくりと起こした。
「大丈夫よ。いつもすまないねぇ」
幸子は手慣れた様子で薬を飲み、また体を布団に収めた。
「薬が効いてきたら痛みも治まって寝れるから、あなたも休んでね」
「うん」
薬の効果ですぐ寝ついた幸子の言葉に反し、優香は心配そうに母を見つめてる。
「チョコ。おいで」
「ワンッ」
優香の膝の上でチョコは幸子を映している。
15分位経った頃、寝ている幸子がうなされ出した。患部が痛むようだ。
「ウウー」
優香はうなる母の背中を擦る。
「ウウー。ごめんね。ごめんね優香」
その言葉を聞いた優香はピタリと擦る手を止めた。暫し茫然としてた優香は何かに取り憑かれたように急に立ち上がり、室内物干し器へと駆け出す。そこからタオルを1枚取り台所で水に濡らし、それを母の顔に被せた。
蠢いていたタオルの下は数分で動きを止めた。優香は目を背けながら幸子の顔からタオルを取り、テーブルに置く。慰めるように足下で懐くチョコを震える手で抱きかかえる。
「こ、これで良かったのよ。これで…。いつも痛みで苦しんで、寝てる時でさえ心も休まらず…。か、母さんもきっと喜んでるはず。喜んでるはずよ」
優香の指先にギュッと力が入る。
「あ、明日は警察に病死って事を説明しないと…。とても寝れそうにないけど寝不足の顔してたら怪しまれる」
テーブルの薬に目を付けた優香は、その中の1つを口に入れ布団に入った。
「チョコ、今夜はずっと側にいてね」
優香はチョコの頭を撫でた後、薬が効いたのかすぐに寝ついた。しかし抱える罪悪感からか、すぐに惨痛の表情を浮かべだした。
その瞬間、チョコはテーブルへと駆けだした。そこで先程幸子を深い深い眠りに誘った濡れたタオルを咥え、それを優香の顔に…。
慌てて画像を止めた博士の視線はチョコへ。その後慄いている折橋へと目を向け、またモニターへ。
「なんと…。先程の優香の台詞から…。苦しむ人間の顔に濡れたタオルを被せる。それが人間が喜ぶことと学習してしまったのか…」
博士は目を細め折橋に尋ねる。
「折橋君、このコに罪はあるだろうか。もしあるとしてどんな罰を受けるのじゃろうか」
固まっていた折橋は、博士の声で我に返る。
「は、はい…。はい、そうですね。この事実が明るみになれば初期化では済まないでしょう。恐らく即処分という形になると思います」
博士はヘルメットを外しながらチョコに語りかける。
「なんとも不憫じゃのう。なまじ愛情を受けて育ったばっかりに…」
哀れみの表情でチョコを見つめる博士。その顔に反応したチョコはテーブルに飛び乗りおしぼりを咥え、博士の顔に被せてあげた。
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