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★13 中元節(ちゅうげんせつ)

 道の途中で牛車はいきなり停まってしまい、牛は動こうとしないばかりか少しずつ後ずさろうとする。道の奥からは、灯りを持った異様な風体の男達が近づいて来た。「三郎、今日は何の日だ?」「今日は中元節」。

 「中元」とは、中国の暦で旧暦七月十五日をいう。「お中元」という言葉を思い浮かべた人もいるかもしれないが、正にこれが語源である。「お中元」は贈答習慣や贈答品を指し、同様の習慣に「お歳暮」がある。「歳暮」は字の通り、年の暮れ=年末のことだ。
 何故この時期に贈り物をすることになったのか。それはこの時期が「夏から秋へ」「冬から春へ」という季節の変わり目で、魂の更新が行われる時期に設定されていたからだという。(「春から夏」「秋から冬」がないのは、陰陽説において「春夏」=「陽」、「秋冬」=「陰」となっているからだと私は思う。)

 人の魂は、季節の進行の中で次第に衰えてくるので、何処かで強化しなければならない。そこで、中元と歳暮をこの強化のための時期と定めた。魂は分割出来ると信じられていたので、子どもや目下の者は、この時期になると自分の魂を分割して贈り物に付着させ、親や目上の者に献上した。献上された者は、その魂を受け取って自らを強化し、強化された魂をまた分割して子どもや目下の者に与え、それを吸収した彼らの魂も強化された、ということらしい。
 今は日頃の感謝の気持ちを伝える品という役割のお中元やお歳暮だが、元々は魂のやり取りとしての意味があったのだ、と。
(此処まで、<参考>『創元ビジュアル教養+α 現代民俗学入門 身近な風習の秘密を解き明かす』 編者:島村恭則 発行:株式会社創元社 2024年3月10日)

 さて。旧暦七月十五日といえば、お盆の頃である。日本でもお盆には、死者の魂があの世からこの世に戻ってくる、と思われている。祖先の霊を供養する事が主に行われているが、「お精霊さんおしょらいさん」といって無縁仏を供養する行事もある。
 日本語版原作小説(以下、原作と略す)では「七月十五日は鬼界の門が開く日だ」となっており、死者と生者が同じ空間に存在する日と考えれば、お盆にとても似通っていると言えるだろう。
 もっとも、日本のお盆は仏教の「盂蘭盆会うらぼんえ」から来ており、釈迦の弟子である目連が地獄で苦しむ母親を救う話が元である。「母親を救う」が「祖先を救う」=「先祖供養」となったのだろう。
 そしてこの目連が母親を救った日が、ちょうど旧暦七月十五日だったため、中元節(鬼界の門が開く日)と話がくっ付いてしまい、死者の魂があの世からこの世に戻ってくる日ということになったらしい。
 ちなみに。母親を救い出すことに成功した目連は、喜びのあまり踊り出してしまい、これが盆踊りの由来であるそうな。

 道教でいう「中元節」は、冥界の帝と言われている地官大帝(赦罪大帝ともいう)の生誕祭を行う日で、罪を犯した死者の魂が赦される日でもあるという。
 謝憐たちの前にやって来た鬼は、頭巾を被って頭が見えなくなっており、汚れた白衣の胸元には「囚」と大きく書いてある。「囚」は囚人のことで、この衣は囚人服である。頭が見えないのは、刑を受けて首を斬り落とされてしまったからだろう。原作では、落とされた首を手に持っている様子が、ユーモラスに描かれている。
 鬼界の門が開き、斬首の刑を受けた者達も、罪を赦され人界にやって来た、というところか。

<追記>
 上元節(旧暦一月十五日:賜福大帝・天官大帝の誕生を祝う)、下元節(旧暦十月十五日:解厄大帝・水官大帝の誕生を祝う)もある。中元節(旧暦七月十五日)と合わせてみると、全て十五日で満月の日だ。
 ちなみに、十七歳の謝憐が落ちてきた子供を受け止める場面で、行われている祭礼は「上元節」である。

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かんちゃ
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