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◉金凌の字[あざな]
金凌について、この「脇役列伝」の連載で取り上げるかどうかは微妙なところだ。藍思追などよりは、はるかに物語に関わっているし、魏無羨との因縁も深い。
主要キャラと言えば言えるが、一方で脇の役柄であることも確かだ。ここで取り上げるとしても、かなり後の方になってくるだろうと思っている。
しかし。「第十九章 丹心」には、金凌の心情を表す重要なシーンがある。「藍思追(6ー9)」で取り上げた船の中のシーンだ。
温寧を目の前にして、父親の仇であると同時に伏魔洞で彼の命を守った恩人でもある、という複雑な状況に心が乱れているところへ、割って入った思追を感情に任せてちょっと押したら、危うく船から転落させてしまいそうになり、「しまった」と思う間もなく、周りの皆が思追を庇い、金凌を非難してくる。
その状況に、過去から現在までの様々な出来事が一気に脳裏に蘇り、孤独と陰口に耐え続けてきた金凌の感情が爆発して、逆ギレしたかと思えば大声で泣き出してしまう。
「下ろさない!」「これは父さんの剣だ。下ろさない!」と彼が叫ぶところは、同情せざるを得ない。
なので、ほんの少しだけ、ここで金凌の話をしたいと思う。
あの記事では、あくまで思追がメインなので、金凌にまつわる会話や行動などは極力省いている。
その省いた場面に、温寧とのこんな会話がある。思追を金凌が押す直前のところだ。
(温寧は)ゆっくりと金凌の方へ向きを変えて口を開いた。
「金如蘭公子?」
金凌は冷ややかな声で答える。
「それは誰だ?」
少し沈黙したあとで、温寧は言い直した。
「金凌若公子」
中国では、本名の他に字があって、「姓+字」で呼ぶのが一般的だ。家族や目上の人、親しい相手以外が本名で呼ぶのは、むしろ失礼に当たるとされている。
だが、金凌はずっと「金凌」と本名で呼ばれていて、誰も字で呼ぼうとしない。もちろん金凌にも字があって、それが「如蘭」だ。
何故誰も字で彼を呼ばないのか、その理由がこの会話から推測できる。おそらく金凌自身が、その名で呼ばれることを嫌っているからだ、と。
何故嫌っているのか。
それはその字をつけたのが、魏無羨だからだろう。3巻「第十七章 漢広」の中にその話が出てくる。金子軒に嫁ぐ直前の江厭離が弟の江澄と共に夷陵にやってきて、結婚式に出席できない魏無羨のために花嫁衣装を見せる場面だ。
ここで江厭離が、いずれ生まれて来るだろう男の子の字を魏無羨につけて欲しいと言ってきて、魏無羨は「蘭陵金氏の次の世代の字には『如』が入るから、金如蘭にしよう」と言うのだ。「蘭は花の中の君子だから」と。
やがて、金凌が生まれ、間もなく一か月になろうという時。
あの、窮奇道の惨劇が起こる。金凌の一か月礼の祝いの席に招待された魏無羨を、金子軒の従兄弟・金子勲が窮奇道で待ち伏せし、「千瘡百孔の呪いをかけたのはお前だろう」と言い出して、有無を言わさず攻撃してくる、あの一件だ。
魏無羨はその時共にいた温寧に戦いを命じたが、そこに止めに入ったのが金子軒で、争う中、魏無羨が祝いの席へ持って行こうとしていた品が壊れてしまい、激昂した魏無羨が温寧のコントロールを……否、自分の心のコントロールを失くした結果、温寧が金子軒の胸を素手で貫いて、殺してしまう。
金子勲に千瘡百孔の呪いをかけたのは誰か、それがわかった後で振り返ると、殊更にやるせない思いになる事件である。
金凌が温寧と対峙する、乱葬崗から蓮花塢へ向かう船の場面では、まだ窮奇道の惨劇にまつわる全ての真相は明らかになっていない。金凌は、温寧が自分の父親・金子軒を殺したと思っているし(それは間違いではないが)、それを命じたのは魏無羨だと思っている。(『魔道祖師』2巻「第九章 佼僚」で、義城から帰る途中、宿屋で藍思追と言い争いになった時、彼は「窮奇道の惨劇」のことを「窮奇道の奇襲」と呼んでいるので、魏無羨の側から引き起こされた事件だと思っていることが窺える。)
とても字の「如蘭」を名乗る気にはなれないし、他者にその名で呼ばれることも絶対に拒絶したいだろう。
金凌は物語の終盤、魏無羨に対する態度をやや和らげたように見えるが、和解というところまでは行っていないように思う。
彼がその字を受け入れ、「金如蘭」と呼ばれることを許す日が来るのかどうかはまだわからない。
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