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トランペットが上手くなるには

人間、何か取り柄がないと生きていくのが辛いもので、仕事もできない、家庭でも肩身が狭い、息抜きの趣味もないとなると、これはもう八方塞がりでして、健全に生き続けることが難しくなって参ります。
幸いにして私の場合は青春時代に楽器を触った経験がありまして、もっとも当時は面白味が感じられず1年で止めてしまったのですが、それでも今になって再び始めてみようと思い立つきっかけになったのでした。

そんな経緯で、仕事も家庭にも期待されていない今頃に再び手に取ったトランペットですが、まあ、上達しない。若いときに1週間で覚えたものが、今はその10倍は時間を費やしている感覚です。

それが先日、高僧と話すきっかけがありまして、どうやったらトランペットが上手くなるのか尋ねてみました。
そうするとその高僧は、「毎日逆立ちして、鼻をほじりなさい。」とおっしゃられるのです。
私は内心訝しがりながらも、偉い方のおっしゃられることだからと、1カ月の間、毎日欠かさず逆立ちして鼻をほじり続けました。
しかし1カ月が経ってもまるで上達せず、ほじる鼻くそもなくなったので、再び高僧のもとを訪れました。

「毎日欠かさず逆立ちして鼻をほじってみたのですが、楽器の腕前は一向に上がりません。」
すると高僧は、「楽器がうまくなりたいのに鼻をほじっていたとは可笑しなことを。それでは、私は忙しいので…」と面倒臭そうに腰を持ち上げて去ろうとしたので、私は高僧の袖を掴まえて、
「あなたがおっしゃったことです。だいたいそんなやり方で楽器が上手くなるわけないでしょう。素人めが!」と言うと、
「あなたは何がしたいんだ。上手いか下手かなんて私が聴いてもわかりませんよ!」
私は負けじと、「高い音を出したり、音を外さないとかあるん…」
高僧が喰い気味に、「そう思うなら、勝手にその練習しなさいよ!」と吐き捨て、私の手を振りほどいて立ち去ったのでした。

ここまで聞いて私はハッと気付きました。
楽器が上手くなりたいというのは抽象的であり、何をもって楽器が上手いかは個人の気の持ちようなのです。
さらに言えば、どんなに上達したとしても所詮はアマチュア。自分が納得しなければ上手になったとも言えないのです。
この高僧は、この事をたしなめられ、「明確な目標を立てたらそれを実現する努力をし、そして満足する心を持ちなさい。」とおっしゃったのだと思います。


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