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ビシッとするのと同じくらいダラっとしないと

「ビシッとしろよ」

社会人になった時かもしれないし、入学したときかもしれないし、なにか重要な商談の前かもしれないけどこう言われたことは誰でも1回くらいはある気がします。

もちろんこれは大事なこと

何かをちゃんと結果を出そうとするときにビシッとする、集中するということはまあ当然ですけど必要です。
ツルッツルの凍ったアスファルトの上を歩くときとか特に

でもそれと同じくらいダラっとしないといけないと思っています。

仕事や学校から帰ってきて、手洗いとかうがいとかして、ソファーでちゃんとするために入れていた力を全部抜いて、ただ天井と壁の接合部を眺めるような時間や、布団にダイブして、ダラダラとなんかやる時間とか、そういう時間がないと車検に通らない体になる気がする。

車検に通らないけど車検の前だけ調整して上手いこと誤魔化してそのまま走り続けたら、ある日突然、腑抜けた音を上げて、よくわからない液体が漏れ出して、言うことをきかなくなります。

でも、社会はみんな当たり前に家に帰ったら力が抜けてるとか決めつけてるから、「家じゃないんだぞ」とか言われたりします。

家にいるときの僕はもっとすごいんだぞ、何なら部屋とかもすごいんだぞ!

毎日仕事や学校やいろんなちょっと頑張んなきゃいけないところに行って色々ビシッとしなきゃと力を入れてると、いつの間にか、ビシッとしているのが普段の自分になって、力が入っていることすら忘れちゃいます。

最近椅子の背もたれにちゃんとよしかかってますか

よしかかるってもしかして方言だったりしますか

記憶がない人は頑張っていて偉いですが、たまにはダラッとしても別に誰の迷惑にもならないですから。
椅子が壊れたらニトリやイケアや街の家具屋さんが儲かりますから。
ダラッとしても良いと思いますよ。

僕は、平たく言えば、頑張りすぎて仕事をやめたわけですが、頑張りすぎてた自覚はまったくなかったです。

上司のミスを押し付けられてフォローするために色々やってても「まあしょうがねえな、僕がなんとかしてあげようじゃないか」と適当にやり過ごせてると思ってました。

現場をよく知らない偉い人の数十年前の感性での激しめのアドバイスも「今日の晩ごはん何にしようかな」と特に気にせずに受け流せていると思ってました。

辞めた後仲の良かった同僚に話を聞いたら普通にヤバそうだったみたいですけど。

本人としては、カニの殻を剥いてるくらいの頑張りでした。

振り返ったら、家に帰っても仕事でもずーっとどこかに力が入っていた気がします。

主に僧帽筋とか?

そしたらある日突然、通勤途中で電車に乗れなくなって、何本も電車を見送って駅のホームで唯一相談できた兄に電話をして、そのまま退職する流れになったという感じです。

まじであの時辞める決断できてよかった、兄ちゃんいて良かった

見送った汽車なんか全部セピア色に見えた。

僕ほどブラックな感じで働いている人はそこまで多くないと願っていますが、ずっと頑張んないといけない環境でずーっと頑張っていると、意識しないと力を抜いていいところでもずーっと力を入れ続けて、最悪廃車になるので治らない病気になる前にダラッとしましょうね

過去を振り返っていたら話がそれたような気が…

こんな話をしたのは、なんか肩凝ってるなと思ってよく考えたら最近また力入っているかもとぐだーってしてて、グダーってするのって、ビシッとする何倍も大切なのではと考えたからです。

タイトルの割にそこまで深い思考ではないかもしれないけど。

こんなふざけた名前の人のnoteにそこまで高いレベルを求めている人もいないと思うのでこんな感じでご勘弁を

読んでくれてありがとうございます。

今家にいて力を抜いても大丈夫な人、揚げ物とかしてる人はだめですよ、1回肩を上げる感じで全力で力を入れてください。グググって
5秒数えて、最低限の生命活動に必要な力以外すべて抜いてください。

グダー





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