ざわざわの根源と固定概念。
たとえば、何事に対してもすごく頑張り屋さんの人がいて、物事に対して120%で打ち込んでいる、姿を見たとする。
(本当に120%出してるかどうかは分からないけれど、そう見える時。☜もうこの時点で斜に構えてるけれど。笑)
わたしは、その人を見て、ざわざわっとする。
嫉妬じゃ無いんだよなぁ。
羨ましいとは思ってはないし。
この、ざわざわはどこから来るのかなぁ。
自分にそのスキルが無いからではなく、
むしろわたしは、その氣になれば、死ぬほど努力できる人間だと知っている。
ざわざわの答えは、その人の承認欲求が透けて見えちゃうから。なのかな?と思った。
努力してるのを見て!見て!頑張ってるでしょ!褒めて!とアピールするのは、わたしの美学に合わないだけなんだ。
(だからわたし、褒めて褒めて!と近寄ってくる女児が苦手なんだと氣付いた!)
承認欲求が良いとか悪いとかの話ではなく。
(わたしにも勿論あるし、良いも悪いという観念も無いんだけれど。)
わたしとは合わないだけ。
それだけなんだなぁ。と思った。
裏側が透けて見えるのは、昔からで、もちろん言葉にして言いはしないけれど。
そうなんやなぁ、って見てる。
わたしの体質なんだと思う。
前はこんな自分に対して、ブラックなわたしが出てきた!やだ!やだ!なんて、自分に負があるように感じてたりしたけれど。
(つまり、ポジティブ、頑張る🟰良い、正義、みんな大好き。という観念。
だから、そこに対してディスったりするのは、悪いこと、という固定概念。)
好き嫌いも当然の如くある。
そしてそれは、直感で感じて、それは大体当たっている。
皮肉めいてるわたしも好きだ。
すべての根底には愛、と信じているわたしですが、
勿論、人間としてのウヨウヨした感情も沢山御座います。
その度におもしろいなぁ。と感じる。
そうなんです。
ざわざわの反応は、やがて、おもしろいなぁ、に昇華される。
その道すじも、実験みたいでおもしろいんだ。
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