青き大空に今勝利の華を


2回目のnoteです。2回目のテーマは「なぜ僕がドラゴンズファンになったのか」です。(選手名は敬称略)


ファンになったきっかけと最初の推し選手

僕は愛知で生まれ育ったので幼少期からTVではドラゴンズ戦がやっていました。両親がドラゴンズファンだったのも影響してるとは思います。物心ついた頃のドラゴンズはアライバやベンちゃんが大活躍し、4番にブランコが座り、吉見とチェンが左右のエース、浅尾→岩瀬の鉄壁リレーが完成してた時でした。ドラゴンズが常に勝ってるようなイメージで、テレビ越しでも応援歌が大声援で聞こえてきてカッコいいなと思っていました。

そんなドラゴンズの中で僕が一番好きだったのは山内壮馬です。2010年にプロ初勝利。2012年には2ケタ勝利を挙げた選手で、制球難の選手なのでファンの間では「暴れ馬」と呼ばれていました。そんな山内をなぜ好きになったかというと、ただ単純にカッコいいと思ったからです(笑)
多分それ以外に理由ないですね(笑)
ドラゴンズを戦力外になってからは応援するのをやめてしまったので"推し"って言われると違うかなぁってなってしまうかもしれません...

山内壮馬(中日時代。2012年)


ガチで推した京田陽太

山内が2014年オフに戦力外通告を受けたため2015,16年は推しがいませんでした。しかし2017年に新たな推しを見つけることができました。彼の名前は"京田陽太"。ルーキーイヤーからずっと応援している選手です。彼は日本大学からドラフト2位指名を受けたルーキーでした。大学日本代表の正遊撃手だった彼は井端退団以降固定できていなかったショートのポジションをいきなり奪っていきました。そしてドラゴンズの野手では立浪和義以来、ドラゴンズの選手では川上憲伸以来の新人王のタイトルを獲得し、以降5年間ドラゴンズの不動のショートとして活躍しました。2022年のオフにベイスターズにトレード移籍してしまいましたが、今でも応援している僕の一番好きな選手、正真正銘の"推し"です。


なぜ京田を好きになったかというと、僕がバンテリンドーム(当時はナゴヤドーム)で観戦してた試合で"球団新人安打記録"を更新したからです。それまではルーキーらしい泥臭い全力プレーをする選手だな程の感じだったのですが、安打記録を更新した時に何か一気に好きになりました。深い位置からのスローイングやシュアなバッティングに一瞬で惹かれて、すぐにユニフォームとタオルを購入したのを覚えています。ドラゴンズの雑誌の京田特集号やキーホルダーやアクスタは今でも自分の部屋に大事に飾ってあります。

トレードの話が分かった時には教室で膝から崩れ落ち、5,6限の授業は放心状態でした(笑)
初めてちゃんと推した選手が急にいなくなるのはガチで辛かったです。ここでジャニオタの気持ちを理解できたのかなぁって思ってます。

京田陽太(中日時代)



最後に


今のドラゴンズは弱いで表せないくらい弱いと思っています。球団史に悪い意味で語り継がれるレベで弱いです。でも僕は根っからのドラゴンズファン。どんなドラゴンズでも応援することはやめません。いつか名古屋で優勝パレードをしてくれると願って応援を続けます。止まない雨はない。弱いドラゴンズは必ず終わります。その時を僕はひたすら待ち続けます。

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