不意に、ふと。/掌編小説
一.
これまで何度も転職をして来た。新卒の企業では無理なくらいに働かされ、1年で体と心はボロボロに壊された。働けなくなった俺は会社を辞めていた。
こんな思いはまっぴらだと思い、休日が多くて残業時間が少ないことを謳う会社に入った。給料が少なくとも、体を壊さない所に勤めたかったからだ。
だが、これも間違いだった。いざ働くと残業はあるし、完全週休2日制なんてものはなかった。文句を言えば、
「わかった。改善するから少し待ってくれ。」
というばかりで、半年後に辞めるまで何も状況は変わらなかった。
そこから職を転々とする人生。ブラック企業に捕まったり、辞め癖がついたりで、13の企業を渡り歩いた。
経験や技術は身に付かず、腹の肉と短期間退社の経歴ばかりが増えて、気がつけば29才。シナノアツヤ。今、俺は今にも崩れそうな崖っぷちにいる。
二.
「で、今日の誕生日を持ちまして、その一歩先に進みました。ってことかい。」
七輪からモクモクとたちのぼる煙の向こう、噛みちぎれないホルモンを頬に溜め込んだ男が話しかける。
高校からの付き合いだ。ススキという。スズキではなくススキ。寿々木と書く。
「お先真っ暗だよ、マジで。」
こちらが思い詰めていることを察してか、少し目をそらした。煙の向こう、メガネのレンズが目線をはっきりと映している。
「まあ、飲め飲め。飲んで忘れようぜ。」
「ありがたいが、飲めん。腎臓ヤってるから。」
「…そうだったな、最初の会社で体調崩したんだっけ。」
それからは他愛のない話を交わして行った。仕事のこと、ススキの嫁のこと、ススキの借金のこと、俺の将来のこと…。前言撤回、他愛はなくない。重大な話だ。酒があってか、薄暗い話も程よく盛り上がった。
三.
午後11時、店を出ようとする時に、俺は不意に言葉にしてしまった。
「なあ、生きてて楽しいか。」
ススキは少し目を見開いた。左下の方に目線を動かして、おもむろに口を開いた。
「たのしかねーよ。…でも、つまんなくはない。」
高校2年生の時の事だ。俺らの学校では掃除会というイベントがあった。長期休みに入る前、全校生徒で手分けして学校中を大掃除するのだ。
真面目にやる生徒なんて少数で、後で用務員が入るからと手を抜く者が大半だった。
俺とススキはその少数派の人間だった。なぜなら、所属していた卓球部の顧問がその掃除会を指揮していたからだ。
俺らは音楽室の掃除担当となった。当日は音楽の先生がビッタリと音楽室に張り付いていて、少しの手抜きも雑談も出来なかった。
トイレに行きますとその場を少し離れた。半分冗談混じりに「サボるんじゃねぇぞ。」と先生には釘を刺された。
可哀想なことにトイレの床をを雑巾掛けさせられている一年生を尻目に小便をしていた。
「この学校、くそ。帰りてぇ。掃除なんてやりたくねー。そうだろ。帰りたくね?」
すっかり疲れた俺は愚痴を吐いていた。ススキはふふと笑って言った
「部活は出たくねえけど、掃除会は普通じゃない?俺、音楽室にギターがあるって知らなかったぜ。」
その時、スネたのかなんなのか、へ、そーかよ。と返答したことを覚えている。
ふと、思い出した。
店を出て、別れ際ススキの背中を見送った。
その背中は私の知るススキではなく、別の大人の背中に見えた。