中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」㉝日誌令和元年10月30日記録者山本甚吉隊員

画像1 中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」㉝日誌令和元年10月30日記録者山本甚吉隊員 五時五〇分 日本から持参した最後のコーヒーセットでコーヒーを入れて一服。これも最後の大きな紀州産の梅干しを口に入れてその味を楽しみました。  六時 形山隊員と私、二人そろって馬さんの部屋を訪ねました。今回の歴史旅もほとんど無事に終わろうとしています。これも馬さんのご尽力の賜と思います。その労苦に報いようということで二人が持参した日本の御礼の品物をお渡しして感謝の意を伝えました。
画像2 七時 朝食会場の扉が開き探検隊と他の観光客が一斉に入場してそれぞれ席を確保してから大皿を持って順序よく好物の料理を盛り付けました。普段は玉子かけご飯にもずく、納豆、味噌汁、長いも、煮魚、野菜サラダ、らっきょ、梅干しなどですから、我が家の朝食の二,三倍はあると思います。これでは肥満になることは当然だと思います。
画像3 八時 ロビーに集合。パスポートを受け取り、薮下隊長から最終日の予定を説明していただきました。 八時二五分 バスが出発しました。大通りを南下し、約一・五キロに大興善寺があります。一〇分ほどで到着しました。大興善寺の記録担当者は森島茂樹隊員です。お楽しみに。  大雄殿に参拝しました。偏額の下を通り殿内に入ります。中央にはご本尊大日如来がふくよかなお顔でお迎えいただきました。「今日まで無事に旅が出来ました感謝します」の心で阿弥陀経を読誦しました。
画像4 それにしても大興禅寺が、随の文帝が仏教復興の象徴として、国寺として建立した由緒正しいお寺ということを初めて知りました。また、東約五キロには昨年(平成三〇年一〇月)参詣した空海ゆかりの青龍寺があります。この時代に二大密教寺院となり日本からも空海、円仁等が学んでいます。
画像5 お、大雄殿を中心にして周囲には大王殿、文殊殿、普賢殿などがあります。諸堂に取り囲まれた広場には二つの池があって右側の池には鯉が跳ね上がった瞬間を見事に捉えた石像がありました。  説明板には「龍門の鯉、龍をも飛び越える」という意味のことが書かれていました。そして左側の池には生きた亀が数十匹いました。石の上に上がって甲羅干しをする亀、よちよち歩き回っている亀、亀の背中に乗って甲羅を干す亀などいろいろな所作が観られ、なんだかかわいさが感じられ心が和みました。
画像6 バスへ戻る途中、大興善寺前で李さんより「お坊さんですか?」と尋ねられました。確かに頭は丸く髪は薄くはげていますし、袈裟に数珠を身につけ阿弥陀経の経本を持っているからかな、と思いました。  私は「お経をお寺で読誦することが楽しいのです。もう二度と来られないお寺の思い出になります」 李さん「大きな良い声でした」 私「その言葉で安心しました。これから先も中国のお寺で読誦します」 李さん「本当にいいことです。仏に感謝できる人は心優しい人です」と言いながらバスに乗り込みました。
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画像9 九時二八分 バス発車。西安咸陽国際空港に向かいます。バス車内では恒例の「お別れ会」が行われました。  薮下隊長より馬さんにお礼の言葉と品物が贈呈されました。プレゼントを渡しながら「今日は、大雪で空港閉鎖はないでしょうね」と隊長がいいました。あとで堀田さんに聴いたら一番最初の中国歴史旅の最終日は、西安は大雪で飛行場が閉鎖され、帰国が一日遅れになったことがあるそうです。

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