中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」㉒「晋商の大豪邸ー喬家大院に感動

画像1 中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」㉒「晋商の大豪邸ー喬家大院に感動」記録者野呂通子隊員 一〇月二七日(日曜日)六日目の朝八時ホテルを出発しました。  よく晴れていました。花を飾った新婚さんの車を数台見かけました。道路脇に延々と植樹されている街路樹の紅葉が綺麗でした。三〇分程走ってやっと高層マンション群の眺めが途切れたら、今度は新しいマンション群の建築中です。耕作地が広がっています。山も見えず見渡す限り平原が広がり、道路脇はすべて二重三重に植樹されていました。空はスモッグで煙っていました。
画像2 一〇時一四分、目的地に到着しました。中国山西省太原近郊にある晋商の館、喬一族の大邸宅、喬家大院です。喬家大院は一九八六年、民族博物館として開館し、国内外から多くの旅行者や参観者で賑わっています。  喬家大院は別名「在中堂」とも呼ばれています。映画「紅夢」でロケ地となり、一躍有名になりました。
画像3 山西省と言えば中国で最も豪商が栄えた場所として知られています。このあたりは自然が厳しく土地が痩せていたため耕作地には向かず貧しかったが、人々は頭が良かったので商売に向いていたそうです。春秋戦国時代には晋の領地になっていたため晋商人とも呼ばれ、中国経済の中心地となりました。一九世紀には山西商人が銀行業で全国の為替の業務まで独占し、商業の中心地として栄えました。
画像4 山西商人は、金持ちになると故郷に大きな家を作ります。山西省で一番大きな邸宅は「王家大院」で、敷地面積二五万平方㍍、室数一一一八室の大邸宅です。  これから見学する「喬家大院」別名「在中堂」は敷地面積八七二四㎡(東京ドームの六分の一)で、建築面積三八七〇平方㍍あり六つの大庭園に分かれ、各々に二〇の小庭園があり、部屋の数は三一三室あります。まるで砦のようです。
画像5 喬家大院は太原市の西南六四キロの祁県にあり、清代に名を轟かせた商業資本家「喬致庸」の住宅であり、喬家の屋敷の一部です。ここが「在中堂」と呼ばれ、この部分は昔のままの建物で保存され民族博物館として公開されています。他の部分は復元された建物であったり、復元工事中であったりしています。屋敷は代を重ねて増築されていきました。
画像6 「在中堂」は清の時代、乾隆帝の治世中一七五六年に建築され、その後二度の拡張、一度の増修築作業を経て一八世紀末に現在の様になりました。山西商業の凄さを裏付ける豪華さを誇っています。  最初、喬家初代の喬貴発が友人と二人で馬の飼育を始め、後に運送業を手掛け、その後豆腐店が成功し、為替業を営業、中国各都市に多くの店舗を持つ商業金融資本家になりました。
画像7 時代は移って日本との関わりも深いものがありました。日中戦争の時、日本軍が祁県を占領していた際、八路軍を支援する為、何度か武器弾薬を密かに送っていました。最後に弾薬を送るときに密告されてしまいます。日本軍が殺りくに来ると聞いた一族六〇四人は、一九三八年九月次々と北京や天津・上海・雲南に立ち去り、それ以来戻ることは無かったといいます。現在、財産を受け継いだ七代目の女性が北京に住んでいますが、財産は国家のものとなり、家族もなく普通の人だそうです。
画像8 又、文化大革命前、部隊の一個大隊が進駐し、紅衛兵の攻撃を避けました。  喬家大院の独特の建築芸術、彩絵、花鳥、図案、彫刻、人物故事などは完全な形で保存されています。清時代の歴史ある建造物がそのまま保存され、室内もアンティークな調度品で飾られています。  大院の付近は、映画「紅夢」やテレビドラマ「喬家大院」のお陰で人々が多く訪れ、露店や、きれいな新しい店が沢山立ち並び賑わっています。  昨年までは五つ星の観光地でしたがクレームがあり評判がよくなく今年は四つ星にさがり。
画像9 商店街の横道に高さ一〇mはあろうかと思える塀が巡らされているのが見えます。ここが喬家大院です。門の前に大きな高い衝立のような壁がたっており、この壁は古く、壁の裏側に正門があります。邸宅は典型的な中国北方の造りでその構造は精緻で非常に美しい。中庭を中心に四方向に家を建てるのが伝統的な様式で、これを四合院と云って、六つの大四合院と二〇の小四合院の組み合わせで豪邸が成り立っており、部屋の数は三一三部屋にもなるそうです。
画像10 中国は土地も広大で建造物も迫力満点です。  巨大な衝立のような壁の裏側にある正門を入ると広い通路になっており奥行八〇m程あり、その突き当りに先祖の祭る立派な建物がたっています。  通路は昔のままの状態ですが、両側の建物の壁は所どころ修復されました。両側の壁には三つずつの立派な彫り物や彩絵された門が並び、門をくぐると大きな庭を持つ建物があります。各々の庭には大きな防火用の水を張った甕(かめ)が中央に置かれています。
画像11 どの門にも、どの部屋の入り口にも左右に大きな赤い提灯が掛かっており、華やかさを添えます。清時代の歴史ある建造物が其のまま保存され、内装もアンティークな品物で飾られています。
画像12 広い通路に入り最初の門をくぐると、レンガで作られた外壁に嵌め込まれた四角い大きな石(材質は寿山石)に彫られた彫刻が目を引きます。外壁に嵌め込まれた石に彫られた彫刻額を照壁と言い、家の中にあるものは影壁といいます。何れも魔除けであり、飾り物であり、祠であります。最初の門(第一の庭)を入った所にある照壁には福徳祠と大きく彫ってあり、真ん中に穴が空けられ、お供え物が置けるようになっています。回りには鹿や葡萄等の縁起の良い図が彫ってあります。神聖な場所に神が居り、土地、人々の安全への願いが込められている。
画像13 この様な照壁が他の院内にもところ所にあり、長寿を願う亀甲模様の照壁がとてもモダンで美しく印象深かったです。その照壁にもお供え用の穴があけてありました。  建物は風格があり、一部二階造りであるが、人は一階に住み、二階は食糧庫であったそうです。
画像14 夫妻の部屋を見学しました。壁の厚さは一・〇二㍍も有り、寒さに対応しています。床は樟木(くすのき)が張ってあり、二六〇年前の状態でオンドルになっていました。ベッドは下から暖房ができる構造になっています。  楽最善為(いい行いは嬉しい)、翠積(福が集まる)の文字の書かれた額等が揚げられ、その他、絵画、タンス等の調度品、天井は絵で彩色されています。
画像15 夫妻の部屋の隣は子供と乳母が寝起きする部屋になっていました。そこも夫妻の部屋と同じようにアンティークな調度品が置かれてありました。  そこから外へ出ると、入り口に、男会客庁(男性家族が使う応接間)と書いてありました。中の調度品として置かれた机は螺鈿細工で、今は大変貴重なものであり、作り方が判らないとのことでした。
画像16 夫妻の部屋の隣は子供と乳母が寝起きする部屋になっていました。そこも夫妻の部屋と同じようにアンティークな調度品が置かれてありました。  そこから外へ出ると、入り口に、男会客庁(男性家族が使う応接間)と書いてありました。中の調度品として置かれた机は螺鈿細工で、今は大変貴重なものであり、作り方が判らないとのことでした。
画像17 「食房(厨房)の建物の見学」  入り口外に酢を入れる大きな甕(かめ)が数個並んでいました。酢の甕の数がその家の主人の身分や財力を表していました。建物の中は広く横長で大小二つの厨房に分かれていました。家族の為だけの厨房で、普段は小さい方を使用し、来客等大勢になる場合に大きい方を使い、最大六〇人分の食事が用意出来ました。※右端が記録者の野呂通子さん
画像18 厨房守則があり、料理人は髪や髭を剃り、爪は五日に一度切り、手を洗い、履物やエプロン衣服は常に清潔に保ち、布類は洗って干し、調理道具は決められた場所に置き、料理人以外は入ってはならない等が決められ壁に貼ってありました。地下は食糧庫になっています。食房の近くには日会所(集会所)の建物が在り、その両サイドは使用人の住居でした。
画像19 家族のための塾があり、建物の入り口に「芳会」と彫った額が掛かっていました。先生を招いて子弟を教育する場所です。 (息子の館)の見学です。  書斎、居間、ベッドルーム、客間等から成っていました。とても美しいと思いました。
画像20 (女性の寝室の館)  九龍屏風が展示してあり、部屋一杯に置かれたこの大きな屏風は、この家の一番の宝物だそうです。清時代に皇帝の物を買ってきました。花梨の材質で作られた九曲一双の屏風で、玉が嵌め込んである龍が一頭ずつ彫られていました。
画像21 別の部屋には巨大な鏡の置物が展示してありました。鉄梨木(硬くて重い木材)で大きなサイが彫られ、その上に大きな鏡が乗っています。雲も彫られています。鏡は太陽であり魔除けでもあります。サイは中国では目出度い動物です。  在中堂は二代目の息子(つまり三代目になる)の館で一番きれいな部屋です。映画(紅夢)の撮影場所となりました。 家族紹介の展示室もあり家系図や写真等が展示してありました。  その他、喬一家の居室や寝室、客間等沢山の部屋を見学しました。
画像22 どの館の門も建物も室内も屋根や窓、壁、庇(ひさし)天井、あらゆる所に小島や雲、菊、蓮、葡萄、梅花、牡丹、虎、麒麟、孔雀、亀、福禄寿などの彫り物が、浮彫り、透かし彫りで彫られ、彩色され、玉や象牙が嵌め込まれ、細かい装飾がされていました。その時代の人が今も生活しているような展示になっていました。  庭の通路に出れば豪華な街角の風景のようです。似た様な場所が多く自分の居場所が分からなくなります。迷宮とはこのことでしょう。これが1個人の住宅とは驚きです。
画像23 日本にも多くの豪農・豪商・船主等の館が、歴史的建築物として残っていますが、中国とはまるでスケールがちがいます。国民性、国土、風土、気候、文化等が異なる日本とは比較できませんが、中国人に日本の館についての感想を聞いて見たいと思いました。日本の建築物は日本の自然に溶け込み、中国の建築物は中国の自然に溶け込んだものだと思いました。
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